アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#34
2015.10

現代に生きるタイル

前編 京阪神に息づく、タイルのある風景
6)パリのカフェを模した創業者の思い
京都・進々堂京大北門前

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最後に紹介するのは、別府湯と同じ頃に京都は百万遍の近くに建てられた進々堂京大北門前。スクラッチタイルを用いた外観から目を下げれば、一度割ったタイルが綺麗に敷き詰められているのが見える。外壁に貼られたフランス語の看板も陶製だ。

京都大学吉田キャンパスのほど近くにあるこの喫茶店がこの地に生まれたのは1930年のことで、今年で創業85年となる。今回お話をうかがった現店主の川口聡さんの曽祖父にあたる続木斉氏がはじめたパン屋がその発祥となっている。

創業者のひ孫にあたる4代目の川口聡さん

創業者のひ孫にあたる4代目の川口聡さん

——曽祖父は熱心なクリスチャンであり詩人でした。愛するパンを極めたいということでパリに渡り勉強したのですが、その際にカルチェラタンのカフェでパンを食べながら討論している学生を見て、日本の学生にもこういう場所を提供したいという思いでオープンしたそうです。

オープンの翌年には隣にパンをその場で食べてもらうためのカフェをつくり、現在の姿に。京大以外は周り全部田んぼだったような時代だった。続木氏本人も設計に携わり、京都の熊倉工務店とともに工事が行われた。現在でもメンテナンスは熊倉工務店に依頼している。

「この建物と内装は、続木斉がパリ留学時代に見たカフェを参考にしていたようです」と川口さんは語る。カフェ側のガラスは実際にフランスから輸入された一枚ガラスだ。床面こそ木材が使われているが、カウンターやその横の飾りにはタイルが使われている。一方のパン店では飴色の窯変タイルが使われたショーケースが目に鮮やかだ。その足元のタイルには仏語で「学問は自己を超越する」という一節が浮き彫りにされ、店内随所にタイルに刻み込まれた創業者続木氏の思いを見ることができる。

床面にも壁面にもタイルが使われたこの店舗が当時いかに先進的なものだったのか、その時の学生たちの反応は想像するしかないが、そんな歴史ある建物も川口さんにとっては自宅だった。

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一度焼いたタイルを割って組み合わせた「集成タイル」が建物外観の足元をいろどる / 喫茶店内のカウンターにはふんだんに釉薬が塗られた布目タイル / 「学問は自己を超越する」パンが並ぶショーウィンドーの台座にはフランス語による創業者の思いがつづられる

一度焼いたタイルを割って組み合わせた「集成タイル」が建物外観の足元をいろどる / 喫茶店内のカウンターにはふんだんに釉薬が塗られた布目タイル / 「学問は自己を超越する」パンが並ぶショーウィンドーの台座にはフランス語による創業者の思いがつづられる

80余年の歴史ある建物は、維持管理も容易ではない。バリアフリー面、スタッフにとって不便な面もあるようだが、「愛着のあるこの建物のイメージを変える」ということは避けたいと川口さんは語る。「直して使っての繰り返しです」と。

——喫茶店カウンターのタイルは一度変えていますが、タイルはたとえ80年前のものでも拭き取るだけで綺麗になります。日本の西洋建築にタイルは欠かせないものだと僕は思います。西洋建築を日本に持ってこようとしたひとたちの思いが詰まっているように感じますね。

かつては進々堂の両側に建物が連なる町家だった。町家だった両隣には古本屋と京都書院の前身にあたる白川書院があったようだ。いつしかその2軒も取り壊され、最後に残ったのは進々堂のみ。道路を挟んで向かい合う京都大学の校舎からは、甲子園会館にも使われていたような緑の瓦屋根が見える。田舎が都市へと開発される風景を見続けてきた、バージニア・リー・バートンの『ちいさなおうち』のように、この建物も時代のうつり変わりを見続けてきた。

——昔ここに来ていた学生さんが「久しぶりに来たんだけど、まだそのままで嬉しかった」と聞かせてくれました。なかにはわたしも知り得ない貴重な話をご存知の方もいて「戦時中はコーヒー豆の代わりに大豆を工夫して出していたから、当時のコーヒーは飲めたものじゃなかったよ」なんて話も聞きましたね。

現在でも学生時代からの常連客がこの喫茶店に足を運び、なかには毎日同じところに座って書き物をする方も。2号店の構想はあるものの、この店の雰囲気が損なわれてしまうのでいまは控えています、と率直に語る川口さん。今後もこの建物はそのままに、時代に則したサービスをしていくことで対応しようと思っていますという答えが印象的だった。こうして、タイルに刻み込まれた創業者の思いはこれからも引き継がれていくのだろう。

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創業者・続木斉氏の写真が店内を見守る / 和洋折衷の内装のパン店。床に無釉のタイル、腰壁に飴色のタイルが貼られるなど、ところどころにタイルが使われている / 住居部分の2階の窓にはステンドグラスやレリーフで飾られ、西洋風の佇まいの外観

創業者・続木斉氏の写真が店内を見守る / 和洋折衷の内装のパン店。床に無釉のタイル、腰壁に飴色のタイルが貼られるなど、ところどころにタイルが使われている / 住居部分の2階の窓にはステンドグラスやレリーフで飾られ、西洋風の佇まいの外観

*『ちいさいおうち』(The Little House)……アメリカの絵本作家であるバージニア・リー・バートンの代表作。1942年に自身の長女のために描かれコールデコット賞を受賞。日本語訳は石井桃子によって翻訳され、岩波書店から1954年に発行された。変わりゆく町並みの中に佇む昔ながらの一軒の家が描かれている