アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#33
2015.09

状況をデザインし、好循環を生みだす

後編 有田焼とまちの400年をひらく2016/ project
1)有田というまち 「つくる」ことに集中してきた

最初に、有田がどんなところか紹介しておこう。
有田町は佐賀県の西部に位置する、人口2万1千人ほどのまちである。山間のこぢんまりした地域に、大小さまざまな150の窯が立ち並ぶ焼きものの産地だ。
小さなまちながら、その歴史は古い。17世紀のはじめ、朝鮮から来ていた陶工の李参平が有田を訪れ、陶磁器に適した陶石を探すうちに泉山磁石鉱を発見した。そして、日本で初めて磁器がつくられたのである。1616年のことだった。
そののち、佐賀藩のもとで磁器生産は大いに発展した。オランダ東インド会社を通じて、海外でも大々的に有田焼が流通したのである。ちなみに、有田焼は伊万里焼とも呼ばれる。オランダなどに向けて伊万里港から磁器が積み出されたため、その名がついたという。

“トンバイ塀”が切れ切れに続き、雰囲気のある裏通り

“トンバイ塀”が切れ切れに続き、雰囲気のある裏通り

鉄道で有田に近づくと、線路沿いにレンガ造の煙突がいくつも見えてくる。駅まわりの景色はとてものどかで、まちのサイズを実感する。駅から車で数分もいくと、そこはもう景観が保存された有田の中心部だ。メインの通り沿いに、漆喰白壁の大きな日本家屋やモダンな洋風の建物など、個性豊かな建築物が軒を連ねる。窓が大きく取ってあったり、寄木の装飾が施されていたりと、一軒一軒が異なり、それぞれがとても美しく、デザイン的な発見もある。
裏通りを一本入れば、風情のあるレンガの塀が切れ切れにつづく。トンバイ塀といって、登り窯を築くために用いて、廃材となった耐火レンガや使い捨ての窯道具、陶片などを赤土で塗り固めてつくったものだ。いかにも焼きものの里らしく、まちの歴史を目の当たりにしながらの散歩はとても楽しい。
しかし、通りを歩いているひとはあまりいない。かなりのスピードで車が行き交う傍らで、時おり観光客に出会うくらいだ。メインの通りの建物は多くが空き家になっていて、商店も本屋も営業していなかったりするし、喫茶店や食堂などもあまりない。地方銘菓などを売るお土産屋さんも見かけなかった。魅力的なまち並みなのに、観光に力を入れている感じではなさそうだ。柳原さんはいう。

——いい街並みが残っていて、観光地としてもすごくいいんです。川のなかに失敗した焼きものが投げ入れてあったりとか、僕らみたいに外から来た者にとっては、とてもいい。でも、有田のひとにとっては日常だから、その良さに気づいてないんですよね。
このまちは「つくる」ことをやってきたんです。お土産といっても焼きものが中心で、観光地としては発展してこなかった。宿泊施設も、食べるところもあまりない。町民の多くが焼きものに関わって生活しています。
毎年5月のゴールデンウィークに「有田陶器市」があって、そのときだけは、たくさんのひとが訪れて有田焼を買っていくんです。この通りが歩行者天国になって通り沿いの無人の建物も業者なんかに貸すんです。なんでそれでいいのかというと、ひとつはみんなここから離れた場所で有田焼をつくっているから、ふだんこの場所は必要ない。もうひとつは、陶器市のときに外から来るひとに貸し出すと、それで1年間貸すくらいになるんですね。ずっと貸してると大変じゃないですか。だから有田は、年1回のイベントのまちとも言えるかもしれません。

有田陶器市の規模は、まちの大きさからすると桁外れだ。会期中には九州をはじめ全国から100万人が訪れて、有田行きの臨時電車が連日運行されるという。ここ最近は秋にも陶磁器まつりが開催されるが、そうしたイベントのときはまちが賑わうが、ふだんとの落差が大きいのだった。人々がやっているのは「焼きものをつくって、売る」ことで、まちの魅力はさほど生かされてこなかったのである。IMG_9814

美しい家屋の並ぶメインの皿山の通り / 藤巻製陶の印象的な煙突。有田のまちには煉瓦造りの煙突が目立つ

美しい家屋の並ぶメインの皿山の通り / 藤巻製陶の印象的な煙突。有田のまちには煉瓦造りの煙突が目立つ