5)ものの見方を教える場所
「自分もひとりの人間、何かの一員に戻れる場ではあります」
「ただようまなびや」で参加者たちとの邂逅やふれあいを、古川はそんなふうに話す。
「小説を書くというのは、何かに所属したりすることから離脱する行為なんですよ。それは必要だからやっているわけだけど、すると『小説家は偉い』とかになっちゃうんだけど、そうではなくて生徒と交わったとき、俺も一員だからって、彼らと同じところに戻ってこられる。そこで気づかされることが大きいんです。1年目は、たとえば作家になりたいから来たひともいたけれど、昨年(2014年)岩手で分校をやったときから、『何とか志望』じゃないひとが参加する率が高くなって、これはよかったですね。具体的な書くスキルじゃなくて、我々が教えようとしているのは、あくまでものの見方なんです。いろんな見方があると知ることが、どんなひとの人生にも実生活にも役に立つと思う」。
「ただようまなびや」で学ぶ「ものの見方」とは、どこに着目するようにと指南されることではない。どのように観点に立つかは、参加者それぞれの考えや感性に委ねられている。ほかの学びの場ではあまり見かけないこうした教育を求め、福島県外からはるばるやって来る参加者のほうが多いと言う。
「参加応募をすること自体が、なにかふつうとは違う衝動っていうか、モチベーションを持っていると思うんですよ。受講は無料の学校だけど、定員になったら締めちゃうので、みんな必死になって講義に申し込む。県外から時間を捻出して、お金を捻出して来る、それでも受けたいって。やっぱり何かがあってもやもやとしているから、ここで講義を受ければ、表現するための言葉が見つけられるんじゃないかと思う。その熱の度合いが高いんじゃないかと思いますね」。
心の奥でもやもやとして、何とかそれを言葉で表したいと願うひとたちと、震災直後に絶句し、言葉で言い尽くせなかった古川を筆頭にした表現者たちにより、互いにリスペクトを抱きあうことで、幸福なマッチングがここ郡山の地で繰り広げられる。
とはいっても、馴れ合いの関係ではない。震災以降に個々が日本という社会のなかでどう生きていくのか、その問題提示にも古川は取り組む。