アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#39
2016.03

「伝える言葉」をさぐる 「ただようまなびや」の取り組み

後編 想像力を引き出すために
3)悲しいと言わずに、悲しみを表現する

言葉にならない思いや気持ちを、人々はどのように処理しているのだろうか?
「ただようまなびや」のプログラム中でその疑問を最も強く感じたのは、二日目の午後、古川が講師を務める授業「エモーション・ブースター・プロジェクト」であった。10人という参加人数を限定したこのワークショップでは、受講者が「悲しい」と感じたテキストを持参する。そして古川による指導の下、受講者たちは「悲しい」という言葉を使わずに、テキストからにじみ出る悲しみを書きつづっていった。
一見すると、シンプルな作業のワークショップのようにも思えるが、実際に間近で見ていると、その意義の大きさに気づく。我々の多くは自分の感情を、「悲しい」、「楽しい」、「腹立たしい」といった、社会全般に流通する言葉だけで示そうとする。些細な事柄であれば、それで片づくかもしれないが、身内の死や非常時などの出来事を体験し、複雑な感情を抱いた状況では、手垢のついた言葉ではおぼつかないし、対話する相手に真意は伝わりにくい。
一般に流用される言葉にすぐには飛びつかず、じっくりと自分の心情をたどっていき、そこに潜むものを獲得するのがこのワークショップの目指すところだ。たとえば、「悲しい」にしても様々な悲哀があるが、各自が持ち寄ったテキストから、参加者たちはいつ、いかなる場合にこの感情を抱くのかをシミュレーションし、「悲しい」にも“幅”があることを知覚し、認識していく。
午前11時半にスタートし、終了が午後2時半と手間隙をかけ、古川が中心となって「悲しい」感情を緻密に探っていく。すると、こうした感情がどこからやってくるのか、どんな状況下で人間は心の反応を露出するのかを、参加者たちはまさに肌で感じることになる。
そのうちのひとりは近年実母を亡くし、彼女の心にも変化が訪れたが、職場では笑顔を見せたところ、周囲からは奇異に思われるといった体験談を話した。だが「悲しい」の様相はひとつに限定されない、ワークショップを通じてそれを理解したほかの参加者たちに囲まれ、この女性はようやく心の整理ができたことを自身の言葉で語った。
文章を書く行為は、心の自浄作用の効果を発揮すると一般的に言われるが、今回のワークショップのような機会でもなければ、「悲しい」といった感情と真摯に向き合うのはむずかしい。心の中に宿ったもやもやしたものを、何とか晴らしたいという思いから、「悲しい」のひと言で片づけてしまうのだが、その気持ちはどこかでくすぶり続ける。
だが人間の感情はときとして、ひと言で片づけられるほど単純でなく、複雑に絡み合うこともしばしばだ。長丁場の授業である「エモーション・ブースター・プロジェクト」は、そんな感情の糸をひとつずつひも解く。焦らずにじっくり時間をかけ、自らの思いを確認する作業が、「自分の言葉の獲得」につながる一歩となる、そんな印象を持った。

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「眠い」の分析をウォーミングアップとして、受講者が「悲しい」と感じる文章を持ちより、それぞれどんな悲しさなのかをとことん話し合い、キーワードを出していった

「眠い」の分析をウォーミングアップとして、受講者が「悲しい」と感じる文章を持ちより、それぞれどんな悲しさなのかをとことん話し合い、キーワードを出していった