アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#30
2015.06

「一点もの的手づくり」の今

前編 行司千絵さんの服と手芸
7)祖母、母、娘 つながる手づくり

最初にも書いたように、行司さんはもともと、手を動かすことが好きで、小さいころはさまざまなものをつくっていた。行司さんのおばあちゃん、お母さんの美知子さんも何かしらつくるのが好きだったから、当たりまえのように針と布を手にしたのだろう。育った家庭環境は大きかったと思う。
直接の影響を受けたのは、お母さんよりも、むしろおばあちゃんのほうだった。おばあちゃんは明治の生まれで、東京で書籍出版業をしていたおじいちゃんと結婚し、戦中まで神田で暮らしていた。和裁が得意で洋裁も好きだったから、美知子さんや、美知子さんの姉妹に、当時は珍しかったスリーピースなどもつくったりしていたという。
奈良へ疎開する際にも、荷物が制限されているなか、手縫いの服を忍ばせていたようで、おばあちゃんが亡くなり、家を片付けたときにその服が出てきた。愛らしい4着の服。美知子さんが小学校に上がるころに、美知子さんとお姉さんや妹さんに縫ってくれたものだ。

——戦前につくった服だそうで、全部手縫いなんですよ。わたしはとても手縫いなんてできないので、すごいなと思いますね。こんな生地を手に入れるのも、そのころは大変やったかと。ボタンが上だけ違うのも、きっと足りなかったんでしょう。
祖母とは一緒に住んではいませんでしたが、家が車で15分くらいのところだったので、しょっちゅう行き来してました。とても手先の器用なひとで、いつも何かつくってましたね。自分で着る服もオーバー以外、ワンピースやスカート、ブラウスなど全部つくっていました。セーターも編んでましたし。

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おばあちゃんの手作り子ども服。おばあちゃんは器用なのはもちろん、編み物の目がひと目違ってもすべてほどいてやり直すようなこまやかなひとでもあった

おばあちゃんの手作り子ども服。おばあちゃんは器用なのはもちろん、編み物の目がひと目違ってもすべてほどいてやり直すようなこまやかなひとでもあった

おばあちゃんの若いころ、大正や昭和初期は、まだ既製服がふつうに売られていない時代だったから、洋服は自分でつくるもの、あるいはお願いしてつくってもらうもの、という感覚だったと思う。そのなかで、洋裁を習ったことのないまま、本などを見てつくっていたというから、好奇心旺盛で、素晴らしく器用だったのだろう。ちなみに行司さんもそうだが、美知子さんもまた、和裁洋裁ともに習ったことはない。行司家はみんな独学なのだ。

——母も祖母も、基本的に家族のためにつくってました。売るとかそんなんじゃなく。服がつくれるというのは祖母や母から自然と教えてもらって、自分のなかに刻まれていたので、家を建てるとかそういう突飛な感じはなかったですね。服をつくる、手芸をするというのは、わたしにとって、ごはんをつくるように無理のないことでした。
祖母がつくってくれた服はわたしも母も着てました。でも既製服も着てたから、今みたいに、つくった服を着ている割合が大きいわけではありませんでした。小学校までは母もわたしにつくってくれて、それを着て学校に行ったりしたんですが、手づくりの服が嫌で「既製服」に憧れてました。“もっさい”感じがして。今はありがたいと思ってますけど。ごはんやお菓子も手づくりで、それがすごく嫌で「冷凍食品」がかっこいいと思ってました。

行司さんの幼いころの写真を見せてもらったが、おかっぱ頭にしてリボンを結び、ワンピースを着ていて、本当に可愛らしい。美知子さんいわく「経済的なことと、自分の趣味に合わんものは着せたくないという気持ちから」服をつくっていたから、行司さんが小学生だった1970年代から80年代、「みんなと同じ」既製品がよしとされた時代に、子ども心に手づくりが“もっさく”思えるのもわかる気がする。個性的なものは、このころの価値観では受け容れられなかったから。
ただやはり、あらためて思うのは、行司さんがマギー・チャンのチャイナドレスを見て、衝動的につくってしまえたのは、「おかずをつくるように服もつくる」という、行司家の当たりまえがあったからではないだろうか。
ちなみに、行司さんが今使っているお裁縫箱は、おばあちゃんからお母さんを経て、行司さんが譲り受けたものだ。そして、おばあちゃんと同じように、行司さんも洋服をつくる以外にも、身につけるものの大部分をつくってしまう。セーターやマフラーなどの編み物もするし、アクセサリーもつくる。どれもすべて、服づくりと同じ感覚やっている。

——ピンクのマフラーは、旅の思い出になると思って編んでるんです。バルセロナに行ったときに、おみやげは何もいらないと母が言うから、まちの毛糸店で買った毛糸を使って。服づくりも編み物も、アクセサリーつくるのも、どれも一緒。ただほんまに好きで楽しいんですよね。

行司さんの自宅には「開かずの間」がある。そこには、行司さんの買い集めた布やボタン、リボンなどの材料がしまわれている。ヨーロッパなどの旅先でも、必ずまちの手芸屋さんに立ち寄り、買い集めているので、いつしか膨大な量となってしまった。おばあちゃんのつくった服なども紛れこんだその空間は、行司さんの手づくりにまつわるあらゆることが、流れた時間も含めてつまっているようにも思えた。

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行司さんが撮ったおばあちゃんの写真。写真に写っている裁縫箱と針山などが、お母さんを経て行司さんに受け継がれた。おばあちゃんとの思い出を綴った行司さんのエッセイもある(『なんたってドーナツ』所収(早川茉莉編、ちくま文庫)

行司さんが撮ったおばあちゃんの写真。写真に写っている裁縫箱と針山などが、お母さんを経て行司さんに受け継がれた。おばあちゃんとの思い出を綴った行司さんのエッセイもある(『なんたってドーナツ』所収(早川茉莉編、ちくま文庫)

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旅の思い出を編んだもの。(上)バルセロナの毛糸店で買った毛糸で編んだマフラー(下)ストックホルムの百貨店の手芸売り場で買った毛糸で編んだセーター

旅の思い出を編んだもの。(上)バルセロナの毛糸店で買った毛糸で編んだマフラー(下)ストックホルムの百貨店の手芸売り場で買った毛糸で編んだセーター