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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#30
2015.06

「一点もの的手づくり」の今

前編 行司千絵さんの服と手芸

かつて、1970年代半ばごろまでは、生活のなかの手づくりはごくふつうのことだった。お母さんが家族のためにセーターを編んだり、かんたんな服をつくったり、布のバッグをミシンで縫う。洋菓子のシュークリームやババロアをつくる。特に洋服は、既製品の選択肢が今ほどなかったし、気の利いたものは高かったから、手づくりに向かうひとも少なくなかった。
その後、高度経済成長期に入り、消費が奨励されるようになると、手づくりは一気に「格好悪いもの、ださいもの」となった。代わってもてはやされたのは、大量生産の既製品、食品だった。時代がバブルに突入すると、その傾向はいっそうエスカレートする。高級ブランドがもてはやされ、服を手づくりするという感覚のない世代も育ってきたのである。「お母さんの手づくり」は、いつしか遠い彼方の話となってしまった。

今回取りあげる行司千絵さんは、手づくりの記憶を持ちつつ、服をつくり続けているひとだ。奈良在住、京都勤務の会社員で、週末になると、押し入れからミシンを出してきて食卓の上に置き、服をつくる。行司さんいわく、「日曜大工」ならぬ「日曜洋裁」である。
10年ほど前に、自分の着る服をつくり始めてから、自身のお母さんの服、さらには友人知人の服をつくるようになった。服をつくったひとはお母さんを含めて36人、その数120着以上。行司さん自身の服を入れたら、200着を超えている。週末の限られた時間のなかで、月に1、2着は服をつくってきたことになる。それだけでもすごいのだけれど、それ以上にすごいのは、行司さんは服づくりや洋裁を習ったことは一度もないということ。まったくの独学で見よう見まね、洋裁の本を参考にして、型紙をアレンジするなどしてつくっている。その服がまた、素材感もよく美しく、時にユーモアもあって、着るひとを素敵に見せてくれるのだ。ただ単に洋裁が上手なひとがつくった服、というのとは明らかに何かが違っている。
売るためにつくっているわけではない。作家になりたい、自己表現をしたいわけでもない。行司さんにとって、服をつくるとはいったい、どんなことなのだろう。
お母さんと暮らす奈良のご自宅でお話を伺った。

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行司千絵(ぎょうじ・ちえ)
1970年奈良市生まれ。同志社女子大学芸学部英文学科卒。会社勤めをしながら、洋裁を独学で習得。趣味として休日にミシンを踏み、自身の普段着や母、友人・知人の服を縫っている。これまでに3〜90才に約120着をつくった。2013年に「encore home made」展(nowaki)、2014年に「おうちのふく」展(フォイル・ギャラリー)など、つくった服の展覧会も開かれた(ともに京都)。著書に『京都のシェフにならうお料理教室』(青幻舎)がある。新刊『おうちの服-世界で1着の服』(FOIL)が6月16日に刊行予定。