アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

TOP >>  特集
このページをシェア Twitter facebook
#24
2014.12

工芸と三谷龍二

前編 三谷さんのものづくり
4)三谷さんが仲間と始めたこと クラフトフェアまつもと

三谷さんが松本に住まいを定めたのは、なりゆきとはいえ、予め決まっていたことのようにも思える。
松本は工芸の伝統を持つまちである。その歴史は古く、安土桃山まで遡る。江戸時代には城下町として職人が多く住まい、木工も広く行われた。戦後になると柳宗悦の民藝運動に共鳴した人々により、家具だけでなく織物などもさかんになった。そういった文化的な経緯があるうえに、質のいい木材の産地であり、湿度の低い気候が木の仕事をするのに適してもいる。
三谷さんが松本に住みだしたころは、70年代に民藝家具をつくりにやってきて、10年くらい勉強して、という若手が自分で工房を持ち、独立し始めた時期だった。その方たちと共同して立ち上げたのが「クラフトフェアまつもと」である。

1985 クラフトフェアまつもとを友人たちと始め、以後運営に携わる  この時ポスターを作ることがきっかけで、彫像作品の制作を始める(どうも妙にポスターに縁がある)

「クラフトフェアまつもと」は、日本のクラフトフェアの先駆けである。今でこそ、全国各地でクラフトフェアがさかんに催されているけれど、30年前は生活用品や雑貨のフェアすらなくて、「クラフト」という言葉も一般的ではなかった。それが今では日本最大の野外フェアとして、毎年5月末の週末には、全国から5万人を超えるひとがフェアを目指してやってくる。民藝の時代ののち、松本がふたたび「工芸のまち」として知られるようになったのは、三谷さんたちが始めたクラフトフェアあってのことだと思う。
始まりは1984年の冬。とある夜、木工仲間が行ってきたアメリカの野外フェアの写真を見ようと10人ほどがアウトドアショップに集まった。

壁に映し出された映像は、青空の下、白いテントがいくつも並び、人々の表情もリラックスしていてとても開放的な様子でした。(三谷龍二『工芸三都物語 遠くの町と手としごと』より)

この日、店に集ったつくり手たちはそれぞれ悩みを抱えていた。独立したものの、作品を見てもらったり、発表する機会がない。まだインターネットどころか携帯電話もない時代、情報を発信するのはそう簡単ではなく、知ってもらうための手だてが見つからないでいた。「こんなことが松本でもできたらいいね」みんなのエネルギーがひとつとなって、わずか半年でクラフトフェアを立ち上げたのである。

IMG_0251

第1回目と3回目のポスター。三谷さんが木のオブジェをつくり、撮影した。「自然と人間の豊かな出会い」は作品と場を通して実現されていく (撮影 : 三谷龍二)

第1回目と3回目のポスター。三谷さんが木のオブジェをつくり、撮影した。「自然と人間の豊かな出会い」は作品と場を通して実現されていく (撮影 : 三谷龍二)

初回の「クラフトフェアまつもと」は、完全にインディペンデントな催しだった。出展者の声がけも、場所を借りるのも、行政に協力を求めることなく、すべて自分たちで行った。工芸仲間の出展は45組。会場は「あがたの森公園」を借りた。市街地の外れという立地ながら、木と緑にあふれ、ゆったりとした心地よい場所だ。旧制松本高等学校の跡地で、大きなヒマラヤ杉と大正期に造られた木造校舎が建つ。芝生の大きな広場からは、北アルプスの山々が見え、この土地らしいゆったりした景色がのぞめる。
三谷さんは最初のフェアのことを今もあざやかに憶えている。

——来たひとは少なかったよね。でも、近くの公園だったところに、そのとき何かが立ち上がった、という印象があった。またタープとかもないから、青いビニールシートを木の棒に引っかけたりして。それを見たら、なんか(胸が)熱くなったよね。

1985年というと、バブル景気が始まったころである。人々の関心は、もっぱらお金を使うこと。めまぐるしく移り変わる商品を、どんどん消費していくことにあった。東京への一極集中が恐ろしいほどに進み、「地方」には人目は向かず、「まちおこし」のイベントやプロジェクトはあっても、行政が予算消化のために行うような、お決まりのものばかりだった。
そんな時代の大きな流れとはまったく別のありかたで、クラフトフェアまつもとは始まった。生活にうるおいを与える「もの」を介して、つくる側と使う側が出会える場として。

IMG_1027

IMG_1073

現在のフェアの光景。毎年5万人、多いときは7万人が訪れる。緑あふれる会場は、ひともあふれる。爽やかな5月、出展者とお客さんがのどかに語らえる場となっている

現在のフェアの光景。毎年5万人、多いときは7万人が訪れる。緑あふれる会場は、ひともあふれる。爽やかな5月、出展者とお客さんがのどかに語らえる場となっている