5)別府、昔のアーカイブから学ぶ
「BAICA(バイカ)プロジェクト」
2002年、城谷さんは帰国し、地元の雲仙市小浜でSTUDIO SHIROTANIを立ち上げた。エンツォ•マーリが手がけた波佐見焼のように、近郊の伝統工芸の仕事をしたいと思っていたからだ。
最初に取り組んだのは、大分県別府の竹職人のグループ「BAICA(バイカ)」との共同研究だった。伝統工芸の作り手が技術と美的なクオリティを向上させ、伝統的な知性を受け継いでいけるよう、技術とデザイン、そして経済の訓練の場として彼ら自身で運営する“自発的な学びの場”であり、新たな伝統工芸の受け継ぎかたを継承者たちが切り開いていく挑戦でもある。
まずは、昔のアーカイブからピックアップしたものをみんなでつくりながら学ぼうとなった。城谷さんは、若い職人たちに竹工芸以外のことも知ってもらうため、鉄の工場や焼きものの工房などを見学するなど、学校のようにカリキュラムを作成した。
———みんなに言ったのは「みんなのためにこれ(BAICA)はある。これをやったら食べられるんじゃなくて、これをやることによってあなたたちの後輩が食べられるようになる」と。で、彼らも自分たちみたいに竹工芸をやりたいひとがまた別府に来て、続いていくのであれば、未来のために自分たちは犠牲になっていいというひとたちだったんです。
長期的なビジョンを持ち、竹工芸のこれからを考えながら、今やれること、やるべきことをやっていく。すぐに見返りは求めないという姿勢で、ものづくりが進められていったのだった。
———竹はどうしても高いので、もっとみんなに使ってもらえるものを、と考えて、最初に教育玩具をつくってみました。商品として販売するつもりはなくて、例えばどこかにワークショップで行くときに、玩具のレンタル料と竹職人の日当と交通費を出してもらうというプログラムにすれば、竹職人も仕事が増えるんじゃないかという試みです。
ワークショップのときは、できたものを見せるだけでなく、竹の大切さを教育することまでやったんですね。じっさいには、BAICAのリーダーが15分で竹を細くしていく技を見せ、それから紙芝居をやって、最後に僕がデザインした玩具で遊ぶ、ということをしました。紙芝居では、竹がどれだけ日本の自然環境にとって大事なのかを見せて、最後には化石燃料に頼るか、日本の自然を使いながら環境と自分の体をきれいにしていくかという選択を迫られている話をするんです。
大きな視点から職人が学び、また使う側が竹についてさまざまな視点から考えるきっかけともなる。すぐには役に立たないかもしれないが、生きるための知恵を伝える「教育」であった。