8)緩いペースで、まちを遊び場にする
自主イベント「月イチ蔵前」
「月イチ蔵前」は毎月第1土曜開催。この日、蔵前界隈は買い物や散策を楽しむひとたちであふれる。手にはそれぞれ二色刷りのかわいらしい地図。
参加しているのは、現在20軒前後。店舗やカフェが月替わりでワークショップや小さなおまけを用意する。デザイナーやカメラマン等のクリエイターも個人で参加し、アトリエやショールームを一般公開することもある。散策者は路地裏や雑居ビルをめぐっては、ちいさな宝箱をひとつひとつあけていくように、お楽しみを見つけていくのだ。横浜や千葉から、電車を乗り継いで1時間以上かけて毎回やってくるひともいれば、旅のついでに寄るひともいる。このイベントをきっかけに知り合ったというひともいた。参加ショップで当日もらえる特製マップを楽しみにしているひとは多く、なかには毎回コレクションしているひともいるという。
国際通り沿いの「カキモリ」は、千客万来でなかなか店内に入れないほど。この日のイベントは「インク開放デー」。手持ちの万年筆を持って行けば、店内にあるオリジナルインクを各色自由に補填できる。
鳥越おかず横丁の「SyuRo」も繁盛していた。5月は子どもの日に合わせて、小さな子も飲めるりんごシロップを店先で振る舞い、6月は鳥越祭にちなんだ手ぬぐい、7月には夏の冷たいドリンクと、毎回趣向をこらしている。
「m+」では、職人のつくったカラフルな皮革つきゴム紐をおまけにつけた。ここでは革財布やシューズをゆっくりと品定めしていくお客さんが多い。
雑貨店「in-kyo」では、蔵前を拠点とするブックレーベル、アノニマ・スタジオの本を小さな本棚に集めてブックフェアを開いていた。店主はエッセイストとしても知られる中川ちえさん。
———ワークショップを開くときに椅子が足りなければ近所の店から借りてきたり、ご近所さんと浴衣を着て浅草で飲んだり。お客さんもいいひとばかり。地方は横のつながりがしっかりしているけれど、東京はご近所との関係が薄くて、もったいないなと思っていたんです。けれど蔵前にきて、横のつながりってつくっていけるんだと気がついたんです。
(上から)「in-kyo」店内。使いやすいうつわや生活道具が並ぶ / この月の「月イチ蔵前」の日は本棚を利用して、近所の出版社、アノニマ・スタジオの小さなブックフェアを開いていた / もともとは昔ながらの喫茶店だった建物
「サルビア」は、毎回のべ200人近いお客さんが訪れる、このイベントの中心的場所だ。この日は、サルビア定番のソックスやアクセサリーに加えて、ガーゼ服のブランド「ao」のワンピースやベビーウェアを展示販売していた。鮮やかな色に染められたガーゼ素材に触れるひと、窓の外の景色に見入るひと、大きなスウェーデン織機について質問するひと。セキさんがにこやかに応対している。
階下に、カメラマンの大沼ショージさんと萬田康文さんの写真事務所+スペース「カワウソ」がある。“川沿いのウソのような眺め”で、「カワウソ」。「月イチ蔵前」には作品展示や喫茶イベントで参加している。2人は自分たちの活動をする場所を求めて2010年、この場所を借りた。窓の外には隅田川が悠々と流れ、車、ひと、舟、すべてが常に動いている。動いていくことこそがこの世界の普通なのだと、大沼さんは思っている。
考えてみればこの蔵前という土地も、時代のなかで移ろい続けた場所であった。江戸時代には幕府が御米蔵(おこめぐら)を構え、奉行所の役人たちの邸宅が広がっていた。明治以後は櫛や下駄などをつくる職人達が暮らし、やがては日用品の町工場が増えていく。大正大震災や東京大空襲といった惨事に見舞われながらも、この地の人々は時代の移り変わりを嘆くことなく、むしろ面白がりながら軽やかに職を変え、暮らしを変えて新しい時代を乗り切っていった。すべては動き、変化する。ひともまた動くことが生きるということなのだと、川は教えてくれる。
(上)夏を前にした月の「月イチ蔵前」。「サルビア」ではガーゼ服のブランド「ao」の洋服や小物を展示販売していた(下)「月イチ蔵前」は参加各店がそれぞれのやりかたで告知している。「ao」展のフライヤー
(上から順に)「カワウソ」の店内。「サルビア」と同じ建物の1階下だが、窓からの眺めはずいぶん違う / この月は、大沼さんのお母さん・洋子さんの手づくりおやつがメイン / 大沼ショージさん / 大沼さんの作品集などもディスプレイする /ケーキとコーヒーで、川を眺めながらゆったりとした時を過ごせる
蔵前といえばこのイベント、というほど広く知られるようになった「月イチ蔵前」だけれど、組織だっているわけではなく、行政や企業のバックアップもない。あくまでもセキユリヲさんの自主活動だ。
「エリアも小さく括ってるし、緩いペースだから続くのかも」とセキさんは言う。
知り合いのよしみで参加したいという店もあるけれど、「雰囲気の違うお店もあったり、気を遣うのは面倒くさいから」と、参加者はセキさん一人で決める。また、声がけされた店も、仕事が忙しければ参加しない月もある。この縛りの緩さも、気持ちよく続いていくポイントなのだろう。
「『月イチ蔵前』の運営は、全然義務とは思っていないんです。なんだろう、蔵前ってわたしの遊び場みたいな感じなんですよね」とセキさんは笑う。
自分が心底好きな場所やものは、他者にも自信をもって勧められる。自分が大切にしていることは、誰かにきちんと伝わるかたちで届けたい。それはグラフィックデザインの仕事でも、イベントでも通底する基本だろう。まちを広い遊び場に、好きなひとたちと、好きなことを勝手に自由に実現する。自主的であるがゆえのその縛りのなさが、まちに息を吹き込んでいく。