アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#20
2014.08

<ひと>と<もの>で光を呼び戻す 東京の下町

前編 台東区「徒蔵(かちくら)」界隈を歩く
2)ファッション系の作り手を育成する
「台東デザイナーズビレッジ」

墨田区押上に東京スカイツリーが建てられたのが、2012年。隅田川を挟んだ台東区も、そのころから注目されるようになってきた。なかでも御徒町から蔵前にかけてのエリアは、ものづくりのまちとして脚光を浴びるようになった。長年この地で日用品製造に携わってきた職人たちと、近年移り住んできた若手クリエイターたちが出会い、ものづくりの機運が再び高まっているのである。
一般に知られるようになったきっかけとしては、後述する「モノマチ」をはじめとするイベント効果が大きい。しかしその源流をたどっていけば、「台東デザイナーズビレッジ」の設立に行き着く。

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(上)ロゴが印象的なエントランス(下)モノマチの施設公開のさいには、年に一度ということもあって、老若男女さまざまな人々が訪れる

「台東デザイナーズビレッジ(略称デザビレ)」は、国内唯一のファッション系クリエイターを対象とした、創業支援施設。2003年に廃校になった小島小学校校舎を改装して、台東区が2004年に設立した。
デザビレを巣立った「卒業生」はこれまで55組。代表としては、アーティスティックな作風で東京コレクションでも注目される「writtenafterwords」、服飾に日本文化をとりいれる「ヒロコレッジ」、手仕事とプロダクトの食器を発表する「yumiko iihoshi porcelain」、手刺繍によるアクセサリーを製作する「tamao」などなど……ロンドンに拠点をつくったデザイナーや、作品集を刊行したクリエイターもいる。日本においてファッションビジネスを成立させるのは難しいと聞く。それでも、ここの卒業生たちは、デザビレを腕を磨き力をつける場所として大いに活用し、独自のスタンスで狭き道を切り開いている。

現在ここには、ファッションデザイナーや革製品作家、アクセサリー作家など、19組が入居している。
入居者のひとり、林宏美さんは、ファブリックデザイナー。美大在学中から東京コレクションや海外ブランドの舞台裏でフィッターやスタイリストアシスタントを経験。卒業後は映画やCMの美術制作会社に勤めながらテキスタイル制作を続け、4年前に自身のアパレルブランド「Romei」をスタート、去年デザビレに入居した。

———打ち合わせや商談などのできる場所がほしくて、横浜の自宅からデザビレに仕事場を移しました。ここはサロンとして使えますから、お客様に時間をかけてゆっくり選んでいただくことができます。受注会も年2回、この場所でおこなっています。話を聞いてもらえる場所、伝えられる場所があることは大事ですね。

デザビレの仕事場は、元は教室だけあって採光に恵まれ、充分な広さがある。スペースの奥半分、つまり日差しの注ぐ窓辺側は、事務所として使っている。手前半分にはラックを並べて、サンプルを掛けている。試着室の外壁には階段をつけた。のぼるとロフトになっており、在庫がストックされている。
鮮やかな配色が目をひくバッグやドレスは、オリジナル柄のテキスタイルを使用し、20代から70代までのファンがついているという。

———わたしが柄をデザインし、業者にプリントをお願いして、日本の工場で縫製してもらっています。デザビレで同業者と情報交換して、腕のいい職人さんやフットワークのいい業者さんに出会うことができたのは、制作を続けるうえでとても大きい。ここにアトリエを構えたことで、「本気でやろうとしていたんですね」と言ってくださった方もいました。今後は国内外問わず、Romeiのアイテムを手に取ってもらえる機会が増えるようにしていきたいです。

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(上)2014年春夏のコレクションテーマは「PLAY NEON」。ネオンをモチーフとした柄のアイテムを展開(中)前職の東宝・美術チームに制作してもらったという什器もRomeiらしく、元気になれる空間だ(下)ステーショナリー等を収納する小さなバッグ。Romeiオリジナル柄のくるみボタンは手づくりが得意なお客さんに人気

2階の大きな部屋をアトリエにしているのは、アクセサリーブランドの「Fillyjonk(フィリフヨンカ)」。家や椅子をモチーフにした金属のネックレスやピアスは、細部のディテールまで繊細につくり込まれている。窓に向かって彫金用の機械がどっしりと据えられた作業スペースは、中世ヨーロッパの職人工房を思わせる。
主宰者の兼森周平さんと平岩尚子さんは、名古屋で3年間アトリエを構えたのち、去年4月に越してきた。

「ここは御徒町からも近く、職人とお付き合いしやすい場所です」と兼森さんは言う。
御徒町は宝飾のまちとして知られ、金属加工製造業を営む家族経営の工場が集まっている。職人の数も多い。フィリフヨンカでは、鋳造は素材によってそれぞれ得意とされる職人さんにお願いしており、年配の職人さんから30代の方まで、さまざまな年代の職人さんとお付き合いしているという。

———僕らのつくるものは変わったデザインなので、職人さんの熱意や相性が大事。それに、ここにいればメールやファクスではなく、職人さんと直接会って話すことができる。面と向かって相談したほうがお互いのことがわかるし、仕事の幅も広がります。

仕事に必要な情報は、デザビレ入居者の先輩から後輩へと伝えられていく。三筋2丁目から蔵前4丁目を結ぶ通りは、金具のパーツ卸が集まっている。浅草1丁目から駒形1丁目までは革材料の店が並ぶ。革の加工はあの路地にある町工場に、布の縫製ならあのパタンナーに……。こうしたつながりも、特徴のひとつだろう。

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(上)奥はアトリエと事務所スペース、手前に商品をディスプレイ。緑を置き、アンティークの家具類が空間と調和する、透明感ある独特の空間(中)お城をモチーフにした精緻なリング(下)兼森さんは建築を学び、平岩さんは彫金を学んだ。コンセプトは「思いを馳せる時間」をお客さまに感じてもらうこと

デザビレの入居者に共通するのは、向上心である。入居倍率は約10倍、厳しい審査を通ったひとたちだというのもあるのだろうけれど、誰もが「わたしはこれだ」と胸を張ってひたすらものづくりに打ち込んでいる。
クリエイターの卵たちは、入居契約期間の3年間をめいっぱい活用して力をつける。その間に、同期との結束も強くなっていく。深夜まで仕事をしてアトリエを出ると、隣のアトリエから灯りがもれてくる。あのひともがんばっているんだ……疲れていたはずの体から力が湧いてくる。まだ何者でもない無名時代、志を高く掲げる仲間の存在は、どんなにか心を励ましてくれることだろう。
デザビレの紹介パンフレットには、その結束力を想像させるような卒業生たちのことばが並んでいた。
「デザビレには、相談できる先輩方がたくさんいました。社会人になってからも、大切な友人たちです」
「ものづくりに想いを馳せる仲間達の姿を間近に見ながら、刺激を受け、意見交換し、ときには助け、助けられて、濃厚な時間を過ごしました」
「デザビレに入らなければ出会えなかった異業種のクリエイター、職人さんと出会えたことは大きな財産です」

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デザビレ村長の鈴木淳さん

彼らを見守ってきた、デザビレ村長(インキュベーションマネージャー)の鈴木淳さんも語る。

———貯金を切り崩してバイトをしながらも、自分のブランドを維持しているひと。毎晩泊まり込んで仕事をしているのに、展示会に出ても注文がつかないひと。彼らはそのたびに何度も心が折れて、それでもあきらめずに続けていく。その繰り返しのなかで、レベルが少しずつ上がっていき、ここの入居期間を終えて出て行くころには、事務所を借りて、なんとかやっていけるところまで成長している……。そういう苦労を見ているこちらは、彼らに対して思い入れがありますね。