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アネモメトリ -風の手帖-

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#19
2014.07

場の音、音の場

後編 梅田哲也×細馬宏通対談 音とその周辺
7)ほんの少しの“邪魔もの”をまちに置く

梅田 気配みたいなのって、ほとんど音じゃないですか。夜になるとぞくぞくしたり、怖くなったりすることがあるけど、時間をかけてよくよく観察すると、その原因は音なんですよね。ラップ音みたいなこととか。目で見えているものではなくて。だから、今、見えないものを、目の前に存在しない、けれど、確かにある、という確信を仮に「作品」と呼ぶとしたら、これを表現するのには、「音」が手っ取り早いということになりません?(手に持っている)このペットボトルがただ置いてあって、ここに音が宿ることで、もう成立してるじゃないですか。

細馬 ちなみにそれは、ペットボトルの「音」とは限らず?

梅田 限らず、ですね。こいつが何か鳴ってるぞ、と思わせれば、もうそれで作品になっている。

細馬 ああ、それは面白いね。映画の音の起源ってそういうものだったのかもしれない。サイレント期の映画って、弁士が話すだけじゃなくて、劇場によっては効果音をつけることがあったらしいんだけど、そういう効果音を担当するひとは、どんなタイミングでどんな音を鳴らしたら、その音が映像の中のできごとが発した音として聞かれるか、をすごく考えたと思うんだよね。

梅田 うんうん。

細馬 映像と音との組み合わせを考えるときに、いちばん簡単なやりかたは、たとえば、足を踏み出したときに足音をさせる、っていうことだよね。でも、それは唯一のやり方じゃない。たとえば、何か画面のなかで目立たない動きがあって、それに対して、コツっという音でも、正体不明な音でもいいんだけれど、ある音を鳴らしたとする。すると、観客は、たぶんその目立たない動きに気づくよね。音によって動きがハイライトされる。それと同じで、ある音を鳴らしておいて、え? と振り返ったらペットボトルが目に入るようにしておくと、それはペットボトルの音として認識されるだろうね。

梅田 ジャック・タチの『ぼくの伯父さんの休暇』(*1)でしたっけ。最初に居る海のペンションのようなところで、ひとが出入りするたびにギィギィっと過剰な音が鳴るというのを延々やるじゃないですか。なぜかそのシーンでドアの音がいちばんでかい、という、ただそれだけで笑わせようとする。注意の向け方を逆手に取ってるんですね。それが気になってしまって、映画が入ってこないという。

細馬 たとえば誰かが音のネジを拾った瞬間にギューッと音が鳴ると、ぎょっとするよね。たぶん日常生活では、僕らは無視していい音と拾う音をおおよそ決めてかかっているんだけれど、それは音の種類で決まっているというよりは、視覚的できごとと聴覚的できごとの組み合わせで決まってるのかもしれない。無視できる組み合わせと無視できない組み合わせがあるんだろうな。
そういう、無視できない、でもカロリーの低いできごとの組み合わせは何かってのが、梅田くんの作品に接するときのひとつの手がかりになりそうな気がしてきた。まちのなかで何かするっていうときに、梅田くんは“お邪魔する”という言い方をするよね。そこには、自分からまちを牛耳ってやろうなんて野心はまるで感じられないんだけど、でもやっぱり“邪魔なもの”が配置される。それもごくカロリーの低い“邪魔もの”。そこには、こちらがふだんは当たりまえに思っているような視覚と聴覚、あるいはその他の感覚の組み合わせを、ほんの少し裏切るような配置がなされていて、ふっと注意が更新される。その場所に立つと、おやおやというふうにだんだんことが明らかになってくる。まちという場所に依存しながら、まちに“邪魔もの”をレイアウトする。そのことがこちらの意識をはっとそばだてる。
そういうことを体験するには、その場所に行くしかない。それはもはや図録や映像では記録しがたいことなんだけれど、だからこそ、ある場所に作品を見にいくという行為が重要になってくるんだと思う。

『O才』展にて、出発点の近くに置かれたネオンサイン

『O才』展にて、出発点の近くに置かれたネオンサイン

*1ぼくの伯父さんの休暇 ジャック・タチ監督のフランス映画。1952年制作。

構成・文:村松美賀子
編集者、ライター。京都造形芸術大学教員。最新刊に『標本の本 京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)や限定部数のアートブック『book ladder』。主な著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など。