5)寛容さのあるまち~言葉が規定するアイデンティティのうえに
文学者・葉石濤は、日本時代に生まれ日本語教育を受けた。16歳のときに小説を書き始め、日本語による小説を発表する。しかし50年間の日本統治(*1)を経て、太平洋戦争で日本が敗戦した1945年8月15日を境に、中国の国共内戦に敗れた蒋介石率いる国民党の支配下に置かれた台湾では、公用語が華語(*2)となり、もともと使われていた台湾語(*3)、そして日本より持ち込まれた日本語の使用が禁じられた。台湾語と日本語を母語としていた多くの台湾の人々と同じように、葉石濤もまた言語の断裂を経験するが、華語を独学で勉強して教師をしながら今度は、華語でも小説を書いた。支配者の移り変わりによって、じぶんのアイデンティティそのものである母語だけで生活が立ち行かない痛み。幸福にもこれまで日本語を奪われたことのない日本人にとって、想像を絶する。
1947年、二二八事件が勃発して民衆と政府が衝突、台湾全土に広がったデモを、政府が武力弾圧した。これをきっかけに戒厳令下に入り、無実の人々が政治弾圧のために拘束・処刑される「白色テロ」の時代がやってくる。そんな暗い歴史を彷彿とさせるもの、今のゆったりとした台南の路地や、台南の人々の底なしに優しい笑顔のなかに、感じ取ることは難しい。でも時おり、とても流暢な日本語を話す年配の方々に出会ったときに、思いだす。
「ああ、ここはかつて日本だったことがあって、この人たちは日本人だった時代があったのだ」と。
翌朝、宿のあるグネグネ路地を出てすぐそばの、魚スープのお粥の店に朝ご飯をたべにいった。わたしたちが日本人と見てとるや、上手な日本語でお店のおじさんが「おすすめはコレとコレ」と教えてくれるので、言われるがまま注文した。
店の人たちの、米とスープにサバヒー(キャプション参照)のフレークや厚い脂がガツンとのった皮を盛りつける、流れるような手さばきに思わず目が釘付けになる。繁盛店らしく大変な行列ができており、店内は凄まじい活気に満ちている。
すっきりとした魚スープの滋味と、とろけだすようなサバヒーの皮の脂。ひと口、またひと口と運ぶスプーンの往復がとまらない。半分は屋台のようなお店のカウンターに座って、その新鮮さに感激しながら食す。ああ、この朝粥の豪勢さといったら、京都で名の知れた料亭の朝粥にだって引けをとらない。同じ台湾でも、わたしが住んでいる台北でこんなにおいしく新鮮なサバヒーを食べるのは難しい。台南の朝がもたらしてくれるご馳走にこころが踊る。
とってもおいしい! そうカウンターのなかのおじさんに伝えると日本語で「ありがとう!」とはにかんだ笑顔で答えてくれた。
「日本語はどこで勉強したのですか?」と問うと、「おばあちゃんから教えてもらった」とおじさんは答えた。
台湾では、日本語教育を受けた祖父母と暮らすあいだに日本語に慣れ親しみ、習い覚えた若い世代も少なくない。他民族に支配される経験でありながらも、親しい言語のひとつとして日本語を生活に取り入れている台湾の人々の寛容さ(そうまた出てきた、寛容さ)には、いつも言葉をうしなってしまう。
一見、かたく踏みしめられたような土壌をやわらかく掘りかえしてみれば、そこにはミルフィーユのように繊細に重なり合った歴史と文化が顔をのぞかせる台南のまち。アートという肥料をまいて耕せば、どんな植物が育まれ、実りがもたらされるのか。その取り組みを垣間見せてくれた絶対空間の黄さんは、「蝸牛巷」を案内してくれただけでなく、ともに台南のまちを耕作している仲間たちを紹介してくれた。
次号では、その仲間たちの言葉や活動をとおして、台南らしいまちとアートの関係のありかたについて、もう一歩踏み込んで聞いてみる。
*1台湾の日本時代……日清戦争の結果、清から日本が台湾を割譲され、日本が台湾と統治した1895年から1945年までを指す。「日本統治時代」とも。ここでは、台湾においても比較的イデオロギー色が薄いとされる「台湾の日本時代」という言葉を使用する。
*2華語……いわゆる中国語(北京官話)のことだが、中国だけでなく台湾や東南アジアの華人全般に使用されることから、ここでは華語(かご)と呼ぶ。台湾でのみ使われる語彙なども多いことから、台湾で使われる華語を特に「台湾華語」とする。台湾華語は現在、唯一の台湾の公用語だが、実際には「台湾語」「客家語」「原住民族語」なども使用される。(原住民は「先住民」とされることが多いが、当事者を尊重すべく、ここでは「原住民族」とする)
*3台湾語……中国福建の閩南語(ビンナン語)をルーツとし、日本語の影響なども受けた台湾ローカルの言語。ホーロー語とも呼ばれる。
ネクストアート台南(臺南新藝獎)
https://www.tainanoutlook.com/activities/next-art
absoluteartspace 絕對空間
https://absoluteart.space/8338679
取材・文:栖来 ひかり(すみき・ひかり)
台湾在住ライター。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。日本の各媒体に台湾事情を寄稿している。著書に『在台灣尋找Y字路/台湾、Y字路さがし』(2017年、玉山社)『山口,西京都的古城之美:走入日本與台灣交錯的時空之旅』(幸福文化/2018)『台湾と山口をつなぐ旅』(西日本出版社/2018)がある。 個人ブログ:『台北物語~taipei story』
写真:高橋 宗正(たかはし・むねまさ)
1980年生まれ。写真家。『スカイフィッシュ』(2010)、『津波、写真、それから』(2014)、『石をつむ』(2015)、『Birds on the Heads / Bodies in the Dark』(2016)。2010年、AKAAKAにて個展「スカイフィッシュ」を開催。2002年、「キヤノン写真新世紀」優秀賞を写真ユニットSABAにて受賞。2008年、「littlemoreBCCKS第1回写真集公募展」リトルモア賞受賞。