4)ファッションにおける小商いの方法 osakentaro 長賢太郎さん(2)
ファストファッション全盛期のなか、手づくりブランドを取り巻く環境は厳しいのではないだろうか。余計なお世話ながら心配になってくる。
———全然大変じゃないです。僕は自分の身体の延長線上に経済をどうつくるかっていうことだと思っているんです。このアトリエも家賃が安いからランニングコストがかからない。仮に生活費が10万だとするじゃないですか、そうすれば3万の服が5着売れたらいいんですよ。そしたら「月に5着ならいけるっしょ」ってなるわけです。自分はかわいいものをつくれているという自信がある。「月に5着売れればいい」そして「世の中にあるものより自分のつくっているものの方がかわいいから大丈夫なはず(笑)」。そんな感じのロジックです。そこまで難しいと思ったこともないっていうか。もちろん最初はゼロからなので誰も知らないし大変でしたけど。ある程度の何かがあれば、できるんじゃないかなって思います。
長によれば、むしろ量産ブランドの方が、材料費、工賃、家賃など諸経費、委託費などがかかって、結局は大変なことが多いという。現在のファッションビジネスはメーカーに負担が大きいことは指摘されているが、長はそんな既成のルールに乗らず、自分がやれる範囲の小商いを実践する。
今はネットでも発信できる時代なので、雑誌やメディアに紹介されなくても顧客に届けられるし、展示会をしなくてもバイヤーはやってくる。現在彼の服を取り扱っている店は全国に7ヵ所あるが、自分で営業したのではなく、すべて友達の紹介や先方からの申し出だ。売上げは順調で、生活も「ふつうに成り立っている」という。
彼は震災のことをどう受けとめたのか、聞いてみた。
———3・11のときはエスモードを卒業した年でした。卒業ショーが中止になりましたし、いろいろ停止しちゃったじゃないですか。こういうことがあるんだなって思った。もともと既存のものへの疑いを抱いていたんですけど、あれで強くそう思うようになりました。
ふだんは意識はしませんが、ある意味あれがあったから「日常が楽しい」って言えるようになった気がします。エスモードの時は、肩ひじ張ってがんばっていた気がします。でも、震災から数年たって自然体になってきているかもしれないですね。今もたまに無理してますけど、「めっちゃやるぜ!」みたいのはあまりなくなった。
震災は直接のきっかけではないが、手づくりで服をつくっていく生き方になにがしかの影響を与えたことは確かなようである。