4)不規則やズレを受け入れる
しょうぶ学園では、利用者が自分のやりたい表現を見つけることが重視される。
———ものをどうつくるか、わたしたちが教えることはないです。たとえば陶芸なら、うまく焼くために職員がアドバイスすることはありますが、造形に関しては口を出しません。あるときタイルをつくっていて、その上に粘土を丸めて置くという作業をしていたんですよ。わたしたちは丸めるといったらお団子みたいにしますけど、棒状にして立てたり、横に置いたりするひとがいて、十人十色なんです(福森順子さん)
自由につくっていいと言われると、利用者は最初は戸惑う。障がい者はどうしても健常者とのヒエラルキーのなかで育ってきているので、思うようにやっていいと言われても、つい職員の顔色を見てしまうのだ。ヌイ・プロジェクトの場合、やり始めてそのひとの縫い方ができてくるのに1年くらいかかるそうだ。
どの工房に参加するかは利用者の希望が優先される。自分の希望がうまく言えないひとについては家族と話したり、それでもわからない場合はいろいろな工房に参加してもらい、得意不得意を見きわめていく。
職員は工房での彼らを「見守る」スタンスをとる。順子さんはこう語る。
———彼らに指導しているという意識はありません。ことばは悪いですが放っておいているだけですから。でもただ放っておくだけではないんです。見守っていて、このひとはこの糸のほうが好きそうだ、このひとはこの色が好きそうだと思ったら、そのひとが興味を持ちそうなものを目の前に置いておく。彼らからは探すことはないので、こっちからいろいろ興味を持ちそうなものを提供しなければいけない。例えば、漁で使うネットや農業で使用する寒冷紗を渡すと、目を全部埋めていったり、落ちているビニールひもを縫い込んだり、「こんなことも有りなんだ」と、縫いの材料とは手芸屋さんで扱っているものという既成概念が崩れてしまいます。
個性を重視する考え方は、オット&オラブからもうかがわれる。
オット&オラブとは利用者と職員の混成バンドで、民族楽器を中心にしたパーカッション=ottoとコーラス=orabuの二つの編成が織り成すダイナミックな音楽が特徴だ。演奏というよりは思いのまま叩く、コーラスというよりは全身で叫ぶ、といったプリミティブな音と声の洪水である。その魅力が注目され、各地の音楽フェスティバルにも招待されるほどの人気をほこっている。
音楽といってもあらかじめ譜面や曲は用意されておらず、一人一人の「不規則な音」「ズレる音」を受け入れて、バランスを見つけ、音楽にするのだ。福森伸施設長を指揮者として、音楽のできるスタッフがリードする。
オットはみんなで楽器演奏をしたいとの思いで楽器探しから始まった。ドレミがある曲だと上手に演奏することは難しいので、必然的にドレミのない民族楽器(ジャンベ・カリンバ・ボンボなど)を彼らが演奏する楽器として使用することになった。ドラム・キーボードなどでリズムやメロディを演奏する職員が加わり、施設長の指揮のもと利用者と職員の絶妙な音のコミュニケーションで音楽として組み立てていく。
リハーサルを見せてもらった。音楽担当の職員が全体を見ながら、音の方向を探している。打楽器担当の利用者たちは経験も積んで慣れているせいか、自信をもって演奏していた。即興のダンスパフォーマンスをする男性は、リハーサルでも毎回手加減することなく全身で踊っている。民族音楽ともノイズミュージックとも違う、これまで聞いたことのない音色のハーモニーである。
利用者の「ズレ」を健常者の基準から矯正するのではなく、そのまま受け入れて活かすのがしょうぶ学園のスタイルだ。