4)アーティストに寄せられた意外な反応
最初こそ、町家に住みたいと申し出たアーティストたちに対していぶかしがっていた大家さんたちだったが、アーティストの彼ら自身はもちろん、佐野さんや小針さんがここに住んでどういうことがしたいのか、言葉を尽くして説明すると、ことは意外とすんなり運んだ。
「ああ、つまり、ここに住んで、ものをつくって、それをひとに見せて売る仕事のひとなんやね」と理解を示してくれたのだ。それまで西陣の多くの町家に住んでいた、家で織り、完成した織物を織元に見せ、品物を納める西陣織の織り手職人の姿と重なって見えたのである。町内でのコミュニケーションが何よりも重視されるこのまちでは、サラリーマンのように昼間は留守で、夜だけ家に帰ってくるひとよりも、職住一体で昼間も家で働く暮らしをするアーティストの方がしっくりとその素性を理解できたのだろう。
———むしろ、最初にアプローチしたのがアーティストだったから、住めたんだと思います。大家さんにとってみれば、空き家を埋めてくれるひと、それを上手に直してくれるひと、しかもそこに住んで、ものづくりをするひとだったアーティストは、意外にとっつきやすい存在だったんです。そもそも京都は芸術系の大学が多く、卒業してからも京都に住んで活動を続けるアーティストの卵が多いですしね。
佐野さんや小針さんの口からは、不思議と「町家の保存や再生」「まちづくり」といった大仰なキーワードは出てこない。佐野さんが、鍾馗さんをきっかけに空き町家を見つけたように、また、小針さんが自分の仕事と家族のためにぼろぼろの町家を改装したように、そして若いアーティストたちが「これぞ理想のアトリエ」と直感で感じ、説明会に押し寄せたように、町家倶楽部は、町家を媒介とした、おのおののごく個人的な望みを栄養分にして、自然発生的に立ち上がった集合体だった。
———あの頃、西陣に来たひとたちは、“町家保存のため”でも“まちづくりのため”でもなく、みんな“自分のため”に来ていました。あくまで主人公はひと。あまり町家というハコを主人公として見すぎない方が、ものごとがシンプルになる気がします(小針さん)。
———町家を活用するとか、まちづくりを目指すとか、そんな大義名分はなかったし、今もないです。町家が空いてるのはもったいないから、アジトのように使いたいなと思っただけ。コミュニティとはつくるものではなく、自然に生まれるものですから(佐野さん)。
町家倶楽部のホームページには、「町家倶楽部は町家を斡旋する機関ではありません」とのことわり書きがある。佐野さんと小針さんは、不動産屋的な役割を担うつもりはない。持ち主と借り主を引き合わせる「お見合い」の、いわば「仲人役」を買って出ているかたちだ。
その「お見合いシステム」も、何度も失敗しながら、それを糧にしてかたちづくられていった。現在、町家倶楽部を通した空き町家へのアクセスはざっとこんな流れだ。
①町家倶楽部のホームページにいき、写真が掲載されている空き町家物件を見て、見に行きたい物件の番号を町家倶楽部宛にメールで伝える。
②地図の入手方法の連絡がくる。
③自分で外観と周辺の環境を見に行く。
④その上で家賃や間取りなどを聞き、借りたいとなったら、そこで何がしたいか、どんなふうに住みたいかなどをエントリーシートに書く。
⑤大家さんがその内容を了承したら、日時を打ち合わせし、物件で待ち合わせして、「お見合い」する。
⑥お見合い成立、もしくは何らかの事情で断りたい場合は、町家倶楽部を通して伝える。
最後の⑥が、いかにも世話役の佐野さんと小針さんらしい。昔はどこの町内にでもひとりはいた、「世話焼きなおじさん」が、余計な摩擦が起きないようワンクッションになってくれている。この「お見合いシステム」は今も続き、これまでに200件以上の入居を成立させている。