1)すべては「鍾馗さん」から始まった
町家倶楽部は、西陣を400年以上見守る妙蓮寺の塔頭「圓常院」住職の佐野充照(じゅうしょう)さんと、東京出身でフリーカメラマンである小針剛(こはりたけし)さんが運営する、有志の団体だ。その発足は、1995年、佐野さんの個人的なある“気づき”から始まった。
———僕はアンティークが趣味でね。当時、京都の町家の台所に祀られている布袋(ほてい)さん人形に興味を持っていたんです。火の元に置かれてるもんやから煤だらけやし、その家のおばあさんが亡くなられるとどう祀っていいのかわからなくなったりして、捨てはるひとも多かった。それで、骨董屋さんや骨董市に出かけては、布袋さんを集めてたんです。
そのうち、「布袋さんを集めているお坊さんがいる」と京都の骨董商の間で噂が広まり、「7体あるけど何万円で買わないか」といった誘いがかかるまでになった。
———最初は二束三文やったのに、すごい高くなって、腹立ってねえ(笑)。それで、僕はお坊さんなんで、うちのお寺で、布袋さんをはじめとする“ちょっと捨てにくい縁起もの”の奉納を受け付けることにしたんです。
予想通り、布袋さんはぞくぞくと集まってきた。しばらくすると、そのなかに、とある人形が交じってくるようになった。「鍾馗(しょうき)さん」である。鍾馗さんとは、厄除けのおまじないとして京都の町家の屋根に据えられる小さな瓦人形だ。
———あれ? 鍾馗さんってどのくらい残ってるんやろう、鍾馗さんが奉納されてくるということは、町家そのものが取り壊されているのかな、とその時、思いました。
気になった佐野さんは、上京区の住宅地図を手に、西陣のほぼすべての通りを歩いて鍾馗さんを探してみた。ざっと1,000体ほど残っていることがわかったが、同時に、あっちの路地にも、こっちの路地にもある、空き町家が目についた。佐野さんの興味はいつしか、その空き町家へ。そのままにしておくのはあまりにもったいない気がし、カメラマンである友人の小針さんに連絡した。
———当時、彼はマンションに住んでいて、住居用と撮影スタジオ用の2室を借りていたんです。町家ならそれをひとつにできるし、家賃も安いし、きっといいことづくめやで、借りてみたらどうか、と言いました。
が、ここからが思わぬいばらの道だった。二人は、まず町家について知り得る限りの情報を集め、京都市内に残るおよそ3,000軒ほどの町家を見て歩き、100軒ほど空き町家を見つけた。しかし、そのうち大家さんがわかったのがたったの30軒。そして実際に会ってくれたのは3軒だった。小針さんは当時を振り返ってこう言う。
———みなさん、「町家ってなんですの?」「なんでうちみたいなボロ家借りたいの?」という反応でしたね。
そこで二人は、西陣の空き町家が、このまち特有のなりたちで存在していたことを知るのである。