9)個々が「完結」したとき、「循環」が始まる
大きくもうからなくてもいい。材料費や人件費を買いたたくことなく、ひとを生かし、必要とされるものを無駄なくつくり、顔の見える相手に確実に届ける。
今回、エフスタイルの2人、そして彼女たちのものづくりに関わるつくり手・売り手を訪ね、大量生産・大量消費、右肩上がりの時代の終わりを察知し、実現可能・継続可能な「循環」の心地よさに共感を寄せ、行動を始めているひとたちがすでにいるということを教えられた。
それぞれの立場で抱えている悩みや問題点、厳しいことばも、もちろんたくさん飛び出した。しかし、分業制が発達しすぎて全体像が見えないほど大きくなってしまったループから、小さくても自分で完結させられるループを選択する彼らの姿には、「日本のものづくりも、なんとか残っていくかもしれない」という、小さな希望と安らぎを覚えた。
エフスタイルの2人は、この小さくあたたかな循環を「奇跡」と呼ぶ。無力さを感じることもたびたびだが、それでも、「今、目の前にある愛すべきひとや技術を伝えていくためにできることをやっていくしかない」という思いが、エフスタイルと、彼女たちに関わるすべてのひとを動かしている。次世代のためでも、日本のためでもない、今ここで生きている自分たちのために。
誰かにつくらされるのでも、誰かに売らされるのでもない。つくり手と売り手のいわば「ものをつくる責任」「ものを売る責任」という重責を支えるのは、「まずつくるわたし/売るわたしがそれを必要としているかどうか」だ。個人が自問自答し、あがき、それぞれの小さなループを完結させた時、全員が「伝え手」の立場となり、全体の循環が自然とゆるやかに始まる気がする。
エフスタイルの場合は、生まれ育った新潟の風土が育てた地場産業の素晴らしいものづくりの技術が、その原動力だった。自分が暮らす土地や街には、「今、わたしが必要とするもの」「どうしてもなくなってほしくないもの」は、あるだろうか。土地それぞれに風土や歴史が異なるかぎり、エフスタイルとまったく同じ方法でものづくりができるかどうかは定かではない。しかし、自分が暮らす風土、そしてそこに息づいているものづくりの本質を一度でも問うてみることで、きっと現在の日本の生産者たちの厳しい現状にも一筋の光がさす。共にものをつくる、売る、買う、なんでもいい。その問い自体を始めたひとが、すでに小さな奇跡を起こす「伝え手」となっているはずだ。
穂積繊維工業
http://hozumi-rug.com
くつ下工房
http://kikuko.petit.cc
立川織物
http://kakuto.to.cx
取材・文:姜 尚美
編集者、ライター。出版社勤務を経て、現在はフリーランスで雑誌や書籍を中心に執筆活動を行う。著書に『あんこの本』『京都の中華』、共著に『京都の迷い方』(いずれも京阪神エルマガジン社)。
写真:石川奈都子
写真家。建築、料理、プロダクト、人物などの撮影を様々な媒体で行う傍ら、作品発表も精力的に行う。撮影を担当した書籍に『而今禾の本』(マーブルブックス)『京都で見つける骨董小もの』(河出書房新社)『脇阪克二のデザイン(PIEBOOKS)『Farmer’sKEIKO 農家の台所』(主婦と生活社)『日々是掃除』(講談社)など多数。
編集:村松美賀子
編集者、ライター。京都造形芸術大学教員。最新刊に『標本の本-京都大学総合博物館の収蔵庫から』(青幻舎)や限定部数のアートブック『book ladder』。主な著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など。限定本http://book-ladder.tumblr.com/