1-3)記憶の残しかた 震災後の「ふつうのひと」を記録し、利活用する
震災のような大きなできことが起こった後に、ふつうのひとは何を思い、どう行動し、どんなふうに暮らしたのか。心をどう癒したのか。その記録がじゅうぶんに残されてきたとは言い難かったが、仙台と宮城においては、文化複合施設「せんだいメディアテーク」がその役割を多く担っている。具体的には、プラットフォームとしての「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(以下、わすれン!)、 “対話”を軸にしたプロジェクト「考えるテーブル」の2つが柱となっている。
わすれン! は、一般市民からアーティスト、研究者など、あらゆるひとが震災後を記録し、発信するために設けられた。機材などを無償で貸し出したり、使いかたを教えるなどして、市民が記録した映像や写真をライブラリーにおさめる、あるいはウェブ公開することで他の市民が見たり、使ったりできるというシステムを取っている。「考えるテーブル」はそうした「利活用」のしかたを考える場でもある。
実際にさまざまなひとが、さまざまな目的でメディアテークに集まってくるが、今回はなかでも、アーカイヴのありかたを考えながら、せんだいメディアテークと協働してプロジェクトを手がけている佐藤正実さんの活動をあらためて取り上げておきたい。佐藤さんは編集者でありNPO法人20世紀アーカイブ仙台の副理事長、3.11オモイデアーカイブの代表も務める。佐藤さんの考えるアーカイヴの「利活用」とは、写真だけではわからないことを、語りや対話によってイメージを膨らませ、伝えられるようにするものだ。
来場者参加型のイベントとしては、記録写真を並べ、その撮影者に来てもらって、佐藤さんや参加者と対話する「みつづける、あの日からの風景」や、撮影場所不明の写真介して参加者がさまざまなやりとりを重ねながら、最終的に1本のキャプションに集約する「どこコレ?ーおしえてください昭和のセンダイー」。震災が起こった後、最初に口にしたものを付箋に書いて、自分の体験に近い写真に貼り出していく「3月12日はじまりのごはん – いつ、どこでなにたべた?–」などを企画し、手がけている。それぞれの場はとても自由だ。話したいひとは話せるし、話したくない、話せないけれど書けるひとは書く。そうした言葉が行き交うことで、アーカイブは活用され、残されていく。
「究極的には、アーカイブは体験の同期じゃないかと考えている」と佐藤さんは言う。つねに更新されながら、動いていくもの。それぞれで関わりながら、他のひととも、過去も未来も、遠くのことも、なんらかのかたちで自分とつながっていると感じられるもの。アーカイヴとはそのような存在だと思う。SNSなどのタグ付けとはまったく異なり、有機的なのだ。