2)住んでみた実感を思索につなげる
真兵さんは現在、大学やカルチャーセンターの講師を勤めながら、週5日、車で20分ほどのところにある障害者就労支援施設でIT関連や合気道の指導をする。そうした暮らしが、自身の研究に大きな作用を及ぼしていると語る。
———学会で論文を発表するだけでなく、もっと広い意味での研究に興味があるんです。なぜ自分がこの研究をするのか、なぜこの発想になるのかとか。まちに住んでボタンひとつで生活していると、思弁的すぎてどうでもいいと思っちゃうのですが、ここに越してきたら生活が具体的になった。そのおかげで、実感をもって本を読めるようになったんですね。
たとえば東吉野村の特徴も、ここに住んでみた実感から考察する。
———ヨーロッパも日本も、農村の構造は基本的には同じだと思います。ただ、東吉野村が人間的に閉鎖されていないのは、たぶん、山村ゆえに土地支配にしばられていないためではないかと思います。もちろん山を所有しているかどうかはあると思うのですが、山間で、お米をつくれる土地がないんですよ。
彼は今、こうした日常の実感から得た思想をルチャ・リブロで展開しようとしている。「土着人類学研究会」の活動もそのひとつ。
———「土着人類学」は、僕が勝手につくった思想です。土着は「土に着く」と書くでしょう。この場合の「土」とはつまり、自然環境や個人の内面も含めた逃れられない部分を指します。そこをベースにして、どうやって生きていくかを話してもらったら、人類学のように広がって面白いんじゃないかと考えていて。
去年は地元のひとと研究者に来てもらって、ローカルナレッジとユニバーサルな知を混じり合わせたいと考えていました。今年は、「とりあえず10年先を考える」がテーマ。あまり戦略的でなくぼんやりと見すえて、何が見えてくるか知りたいんです。
この「とりあえず」も、生活のなかで得た実感だろう。体力的、身体的な限界を知ったひとは、社会の有限性にも気づいている。だから不確かな未来のためより、目の前の現実に力を集中させたいのではないだろうか。未来はその先にひらかれるのだから。
いずれは、子どもたちのための寺子屋も開きたいという思いもあるが、まだまだこれから。まずは土地になじむところから、とふたりは考えている。