2)東吉野で心身をつくり、仕事をつくる
写真家・西岡潔さん
坂本さん・菅野さんの後から移住してきたクリエイターたちの多くは、行政企画の移住体験ツアーに参加して「オフィスキャンプ東吉野」(以下、オフィスキャンプ)に立ち寄り、ここでの暮らしを選んだ。武田夫妻しかり、西岡夫妻しかり。ツアーでは奥大和の村々の、移住した方々が活躍されているスポットなどをめぐって、移住体験スペースに一泊する。村での仕事や生活を体験し、移住者との交流会もある。そのあとで、移住するかどうかを決めればよいのだ。
西岡さんは2年前に愛さんとツアーに参加して、移住を決めた。関西は初めてではない。ここ数年は東京で活躍していたものの、生まれ育ったのは大阪で、東京に行くまでは大阪を拠点に仕事をしていた。
———奥大和は10年くらい撮影で通っていて、住みたい候補にはなっていたんです。でも都会から遠いから無理かなって思ってた。そんなときに移住ツアーで村長や地域のひとの思いを聞いて、ここならいけるんじゃないかって思いました。なにかあったら相談にいける場所(オフィスキャンプ)があるのも心強かったし、先に移住しているクリエイターがいるから、具体的なことも相談できる。
東京から地方への移住、それも、転居先は東吉野のなかでも歴史の古い地域だ。原動力は何だったのか。
———ひとの体は食べるものがつくるから、野菜も米も水も、できるかぎり近くのものがいい。この土地でとれたものを食べて生きていけば、自分が場所の一部になっていくんじゃないか、と。
このいろりだって、縁の材は東吉野のくるみの木。灰も地元のひとがふるいにかけて分けてくれたし、炭は近所につくっているひとがいる。生活に必要なものはすべて、ここで揃うんですよね。そういうことが、仕事にも生活にも大切な気がしたんです。
西岡さんが気に入って住むことにした家は、それなりに手を入れる必要があった。それについても、東吉野村の職員や、坂本さんたちが進んで手を貸してくれた。もっとも、「大ちゃん(坂本さん)がやってくれたんは、居間の床の一部磨いたくらいですけどね。そこだけぴかぴか(笑)」ということだけれど。
仕事の心配は杞憂だった。
実績を積んできた西岡さんは、「奈良の撮影なら、奈良に暮らす西岡さんに」と関西圏のクライアントはもちろん、東京で知り合った編集者も声をかけてくれた。広い自宅は仕事場も兼ね、作家活動も広がった。宇陀市で開催されたアートイベント「木造校舎現代美術館」で、武田さんや比留間さんほか、地元のアーティストたちと一緒に作品を発表したり、大阪で個展を開いたりもしている。
———地方で、自分と向き合って暮らしていくようになってから、写真で何をしたいのか、より意識的になったし、自分に合う仕事を振られるようになってきました。今、写真で表現したいことと生活が、しっくりきはじめた気がしています。
眼差しは、東吉野という土地にも注がれている。
———写真家って、都会に行けば代わりはいっぱいいるけど、ここには僕くらいしかいなくて。だから地域のなかで果たす役割が自然と見えてくるかもしれない。この村を撮ることも、ちょっとずつはしています。村のひとから望まれているようにも感じるし、作品にはならなくても、ここにいる誰かが撮って残したほうがいいと思うから。
そう考えるようになったきっかけが、縁側だ。西岡家の縁側には、近所のひとたちが立ち寄っては世間話をしていく。
———昔ここは子どもたちの遊び場だったそうで、よく地元のひとがやってくるんですよ。それでも90歳ぐらいのおばあちゃんがここまで急な石段を上ってきて、「ひとが住んでるんやな。懐かしいから、なか見せて」って来はったこともあります。
いろりの灰を分けてくれたのも、縁側で知り合った近所のひとたちだ。地域の会合に呼ばれるのも、「仕事が忙しいだろうからできるかぎりでいいよ」と言葉を添えてもらえるのも、縁側で生まれた相互理解が支える部分が大きい。
いろりも縁側も、プライベートな家のなかの、他者と集うことのできる場所だ。新しく移り住んできたクリエイターと、古い集落で生まれ育った土地のひと。価値観も日常も異なる者同士がお互いを尊重して共存するうえで、これらの場が大切な役割を果たしている。