3)時間と距離を超えた関係性が生まれる「場所」
取材日の夜、ミーティングテーブルに、届いたばかりの手紙が置いてあった。坂本さんにあてた、数週間前に滞在した若いクリエイターからの手描きのカードだ。ゆっくりと目を通しながら、坂本さんが「うれしいですね」とつぶやく。この方は、長く滞在していたんですか。そう尋ねると、「いや、そうでもないです」と坂本さんは答え、「でも、やっぱり時間じゃないんですね。すごく距離が離れたところに暮らしているひとなのに、離れている感じもないんです」と言葉を継いだ。
その日かぎりの出会いもあれば、長く続く関係も育まれる。
たとえばSNSでも、顔なじみになったひとたちを親しく感じるし、行間をくみ取ることもできる。彼らが暮らす土地のニュースが流れれば、彼らに思いをはせることだろう。けれども、リアルな場所で顔を合わせるということはそれに加えて、語られたことばだけでなく、語られなかった思いも同時に交わすことになる。
それは「オフィスキャンプ東吉野」という場所を共有するからこそ育まれる関係だろう。同じ空気を吸うということ。同じ川の音を聴くということ。それはときに、文字情報以上の濃密な関係性をはらむのである。
———場があると、ことばで語らなくても汲み取ってもらえるんです。ことばや情報だけだと、ともすれば誤解を招くけれど、ここに来てもらうと、空気も持って帰ってもらえる。それが場の力であり、リアリティですよね。お互いのなかの何かが伝わって、さらに時間とタイミングが合えば、結果として新しいなにかが生まれてくる。(坂本さん)
移住推進の立場にある福野さんも、この場所が定住者にかぎらず広くひらかれていることに、可能性を見いだしている。
———僕はサーフィンが好きで、シーズンになると足摺岬とか、波のいいところを巡っては、4泊、5泊と通うねん。長く通っていれば地域の相談を受けることもある。するとこっちも、そこに定住していなくても本気で考えるやろ。つまり定住していなくても、地域と関係性があれば、その土地のことを自分のことのように考える。そういう場所が、日本中に増えていけばいいと思ってる。(福野さん)
どこに暮らすのか、どのくらい長く暮らすのかは、実はさほど重要ではないのかもしれない。この地にとどまるひともいれば、別の土地を求めていくひともいる。大切なのは、生き方や暮らし方を自らの手で創造しようとしているひとたちが、心のどこかに互いの存在を留め続けることなのだ。
「今、日本列島の上に、都道府県で区分けされた地図とは別の地図が浮かんでくる気がするんです」と坂本さんは言う。
遠くにいても、日々会話を交わしていなくても、傍らにいるように感じる。そんな距離や時間を超えた関係が、全国に広がっていく。誰かが声をあげれば、どんなに遠くても、誰かが耳を傾けるだろう。手を差し伸べるひと、手を携えるひとがいるだろう。
窓の外は漆黒の闇となり、川の音だけが響いている。誰もいない「オフィスキャンプ東吉野」にぽつんと灯りをともして、坂本さんはしばらくその手紙を読みふけっていた。
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次号では、菅野大門さんをはじめとする多様なスタンスのクリエイターが東吉野に移住してきて、彼らの仕事や村のありかたが大きく変わっていくようすをお伝えしたい。
取材・文:渡辺尚子
ライター、編集者。「手から生まれるもの」をテーマに、雑誌や単行本の執筆をおこなっている。著書に『ひかりのはこ スターネットの四季』(アノニマ・スタジオ)、『うれしい手縫い』(グラフィック社)他、共著に『糸と針BOOK』(文化出版局)、『創造の現場。』(CCCメディアハウス)など。「暮しの手帖」で「ひきだし」を連載中。たねや冊子「ラ・コリーナ」の取材もおこなっている。
写真:石川奈都子
写真家。建築、料理、プロダクト、人物などの撮影を様々な媒体で行う傍ら、作品発表も精力的に行う。撮影を担当した書籍に『而今禾の本』(マーブルブックス)『京都で見つける骨董小もの』(河出書房新社)『脇阪克二のデザイン』(PIEBOOKS)『Farmer’s KEIKO 農家の台所』(主婦と生活社)『日々是掃除』(講談社)など多数。
編集:村松美賀子
編集者、ライター。京都造形芸術大学教員。近刊に『標本の本-京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)や限定部数のアートブック『book ladder』。主な著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など。