7)ぶれずに、ノマド的に 各地にしくみを残す
柳原さんが提案した「新しいしくみ」が動き始めた今、実際に動かしているのは百田さんをはじめ、有田のひとたちだ。しくみをまわすだけでなく、よりよいものを目指して、協力しながら進めている。
柳原さんについて、百田さんは言う。
———柳原くんは、絶対成功させるための大きな枠はこれだ、と立てる戦略がすごいんですよね。僕としては、柳原くんには本当に感謝しています。こういう場所を日本に、彼がたくさんつくっていくことがいいことだと思うし、今後の有田の評価にもつながっていくと思いますよ。
柳原さんは自身は、有田での仕事をあらためて振り返ると、「しくみ」というより、そのためのきっかけをつくったと思っている。
———僕が組み立ててしくみをつくったというよりは、大風呂敷を広げて、それをみんなに共感してもらい、何かを感じてもらって、みんなの目標がそこに向かうようにした、というほうが近いかもしれません。県のひとにも、ライクスミュージアムに展示しましょう、アリタハウスをつくりましょうと目標を置いて、関わるひとたち全員でしくみをつくるきっかけをつくった、というところでしょうか。今回は行政がしくみをつくってくれたし、オランダ側も運営の仕方を提案してくれたからできたことで、僕はそのきっかけをまずつくった、という感じですね。
有田でプロジェクトをやるにあたって、柳原さんが理想としていたのはスペインのサンセバスチャンのまちだった。行政側と話すときも、このまちをよく例に出した。小さな田舎町だったサンセバスチャンが食通の集まる、世界的に注目されるまちになったのには理由がある。小さなレストランがたくさんあって、それぞれがレシピを秘伝にしていたけれど、あるとき、まち全体でクオリティをシェアしようとなり、寄り合いをつくって、味を公開し、共有したのだ。「みんなでクオリティをあげる」ということを通して、閉鎖的なまちが生まれ変わったのである。
有田はすでに、その道が見えてきている。窯元の高い技術を共有して、ものづくりのまちとして魅力を発信し始めた。そのことはきっと、百田さんが考えているように、観光的な魅力にも広がっていく。柳原さんがつくったきっかけをしくみに育て、有田の人々は自分たちの力で、産業とまちをひらいていこうとしている。
有田のプロジェクトを手がけているあいだに、柳原さんはアトリエを京都から大阪に移した。
美意識が宿る昭和の日本家屋から、繊維のまち・船場で、大正時代に建てられたモダンなビルへ。繊維組合の役員たちがオーナーというその空間は、建物全体がモダンなアンティークという感じで、柳原さんの手がけた商品を中心とする/shopや展示スペース、大きなキッチン、さらに広い屋上もあって、広々としている。ここでさまざまなプロジェクトを手がけながら、ひととひとを出合わせ、船場の歴史と今を結ぶような役割を担いつつある。
———まちなかで海外のひとたちの展示があったり、僕が来てからもいろいろと動きがあって。ここの屋上では、ノルウェーの友人Food studioに「サイレントディナー」という、会話をしないで食事するイベントをやってもらったり。これから、いろんなひとたちに展覧会をやってもらっても面白いんじゃないかと思っています。そんなふうにして「場」をつくっていきたいんですよね。
柳原さんは「渡り大工」のように、ノマド的に各地を転々としつつ、その土地土地にしくみを残していくのだろう。一デザイナーとして、求められることをかたちにしながら。
柳原照弘
http://teruhiroyanagihara.jp
2016/
http://www.2016arita.jp
取材・文:村松美賀子
編集者、ライター。京都造形芸術大学教員。近刊に『標本の本-京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)や限定部数のアートブック『book ladder』。主な著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など。
写真:石川奈都子
写真家。建築、料理、プロダクト、人物などの撮影を様々な媒体で行う傍ら、作品発表も精力的に行う。撮影を担当した書籍に『而今禾の本』(マーブルブックス)『京都で見つける骨董小もの』(河出書房新社)『脇阪克二のデザイン』(PIEBOOKS)『Farmer’s KEIKO 農家の台所』(主婦と生活社)『日々是掃除』(講談社)など多数。