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アネモメトリ -風の手帖-

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#46
2017.03

しくみをつくり、まちを動かす

柳原照弘さんと有田・2016/ project 新たな展開
3)振り返りつつ、これからを始める1
川副青山窯 川副史郎さん

2016/ の華やかなスタートは、ミラノサローネやライクスミュージアムのおかげだけではない。
このプロジェクトでは、製作の過程でことあるごとに発信してきた。2015年には、ミラノ・デザインウィークの期間中に途中経過というかたちでプロジェクトの概要を紹介するなど、製品の完成前から、さまざまなイメージや情報が世界に広がり、蓄積されていたことも大きかったのだ。
デビュー後は商品の動きもよく、また賞の受賞やノミネートも相次いでいる。東京で開催されたインテリアの総合見本市「IFFT/インテリアライフスタイルリビング2016」のベストバイヤーズ賞の受賞ほか、ダッチウィークやエルデコインターナショナル、ロンドンのデザイナーズオブザイヤーのノミネートなどである。
関係する方々の予想を上回る好スタートだと思うけれど、柳原さん同様、百田さんをはじめ有田の方々も「これからがスタート」と気を引き締めている。量産の体制をつくり、結果を出していくのはまだこれから、と。
今だからこそ、聞ける話もあると思う。窯元のなかでも大きな変化のあった川副青山窯の川副史郎さん、百田さんが始めたブランド1616/ arita japanに関わり、窯元の中心的存在として全体を俯瞰してきた宝泉窯の原田元さん、そしてプロジェクトリーダーの商社・百田陶園の百田憲由さんに話を伺って、プロジェクトのこれまでを振り返りつつ、この先を眺めてみたい。

川副史郎さんは、このプロジェクトのなかで、もっとも劇的に状況が変わったひとりだ。2016/ のために、伊万里から有田に工場を移転。会社を新しくつくるくらいの覚悟で、2016/ の開発作業に専念してきた。

IMG_7716———スタートからだと3年ですが、実際に図面からつくるのは1年半です。シンプルなものばかりだったんですけど苦労しましたね。世界で注目を浴びている、トップクラスのデザイナーと仕事できるのはうれしかったですが、指示や要望にこまかに対応するには距離や言葉の問題もありますし。朝から晩までほとんど型屋さん、生地屋さんまわりで、修正の連続でした。例えば楕円形のお皿なんかは、長い辺と短い辺があって、シーソーみたいに重さのバランスを取りあってできるんですけど、それをもっと薄くとか言われると、全部のバランスが崩れてまたやり直し、とか。やり直しってコストなんで、4、5回するだけで数十万かかりますし。製品は見た目がシンプルなので、その苦労が商品には出てないと思うんですけど。

川副青山窯は、伊万里の大川内山で鍋島焼を手がけてきた。有田からは30分ほどの距離で、山水画のような景色が広がる観光名所でもある。ただ、訪れるのは年配者が多く、鍋島焼全体の売り上げも落ちていて、川副さんは将来に対して漠然とした不安を抱えていた。
先代である父から引き継いだものを革新しないといけない、新しい事業の柱をつくれたら。そう考えていたころに、2016/ のことを知った。しかし、プロジェクトに参加するには、工場を移転しないと開発と生産がうまくまわらない。プロジェクトリーダーの百田さんにそう言われて、川副さんはわずか数日で工場の移転を決めたのだった。

———引き返せない投資と決断でしたね。いろんなことが変わりました。移転前は従業員は60歳前後が多かったんですが、移転すると話したら、ベテランの方はけっこう辞められたんです。でも、絵付けの若い子は残ってくれたり、新しいひとが来てくれて、結果として人数は変わらず若返りがはかれた。さらに、みんなでカバーしていかないと、この大変な時期は乗り越えられないってことでみんなの意識も変わったかもしれません。絵付けをしていたひとも撥水剤を塗ったりとか、ひとりで3役も4役もしながら協力してやれています。
今思えば、25型を一気につくる1年半は大変だったけど、この窯の効率があってできたことだし、その過程でいろんな人脈ができた。移転したからこそ未知の世界につながって、質問や相談がすぐできるひとも増えて、今後自分がチャレンジすることに対して大切な関係が伊万里にいた時よりつくれたと感じています。あっちに残っていたら、なかなか未来がむずかしかっただろうと思います。

「成功するしかない」と腹をくくった挑戦は、会社組織のありかた、仕事のしかたなど、さまざまなところで川副さんが思っていた以上に良い流れを生み出した。現在は、受け継いできた絵付けなどの伝統をこの先どうするかについても考えている。

———僕が焼き物をするために、こちらに帰ってきて10年は経つんですけど、この2、3年で10年分の知識や能力をうわまるくらいの成長をさせてもらいました。百田さんや2016/ のみなさんのおかげで、ここまで来ることができました。
これからは、またいくつかの柱をつくって量産とバランスよくやっていきながら、伝統も後世に残せるようなことをしたいと思っています。そうしたら若い職人を増やせたり、絵付けにも力を入れられるかもしれないんで。焼き物業界は、お金を生まない新入社員を養えるような経営は厳しいんですが、ある程度規模があればやっていけるので、そこを目指してがんばります。

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高台がないデザインで、かたちを安定させるのはとても難しい。また、写真ではわかりにくいが、口に近いところの形状を工夫して、ふたが落ちないデザインとなっている。デザイナーはステファン・ディーツ

高台がないデザインで、かたちを安定させるのはとてもむずかしい。また、写真ではわかりにくいが、口に近いところの形状を工夫して、ふたが落ちないデザインとなっている。デザイナーはステファン・ディーツ