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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#151
2025.12

41年目の東川町 文化のまちづくりを俯瞰する

1 「写真の町」宣言がもたらしたもの 北海道・東川町
4)40年を町民と積み上げる

町民の理解が得られる事業のあり方が模索されるなかで、町民参加のかたちも生まれていく。

転機となったのが1994年に若い世代に写真文化を広げようと始まった「写真甲子園」の開催だ。高校写真部が競い合う、野球の甲子園さながらの全国大会。毎年夏に予選を勝ち抜いた高校生が全国から集い、3日間にわたって町内を舞台に撮影・作品制作に挑戦する。その過程で、町民と写真の町との接点が生まれていった。

———写真甲子園が始まったときに、自分たちが被写体になるとか、ボランティアで子どもたちに食事を提供したり、ホームステイで受け入れたりといったかたちで、写真の町事業と関わる場面ができた。そのおかげで、町民にとって写真の町がより身近に感じられるようになったんです。

批判の声は、「参加したい」の声でもあった。こうして、写真の町は10年以上の歳月をかけて町民に受け入れられ、まちづくりの根幹にしっかりと据えられるようになっていく。写真を入り口に、町内外の人との交流を何年も何年も積み重ねていくことで、町の自然や暮らしの豊かさにも、人びとの目が向くようになっていった。

写真の町事業では、町民主体の「企画委員」も構成され、1期2年で取り組む。古くからの町民、移住者が一緒になり、なかには20年以上続ける人も。世代や職業など属性の異なる町民が写真を通じてつながる機会でもある。写真甲子園のホームステイ先の選定など、町民同士の関係性があってこその役割を多く担っている

写真の町事業では、町民主体の「企画委員」も構成され、1期2年で取り組む。古くからの町民、移住者が一緒になり、なかには20年以上続ける人も。世代や職業など属性の異なる町民が写真を通じてつながる機会でもある。写真甲子園のホームステイ先の選定など、町民同士の関係性があってこその役割を多く担っている

2000年代以降、写真の町づくりは、写真の町事業を土台としながら、景観条例にもとづいた、東川らしい街並みをつくる宅地造成、ふるさと納税の寄付者を“町を応援する株主”と見立てる「ひがしかわ株主制度」など、経済施策を含むまちづくり全般に波及していくことになる。そのなかで、「東川らしさ」の追求が行われ、写真にとどまらない独自の文化が発信され、町民の誇りとなり、移住者を惹きつける魅力ともなっていく。

市川さんは、時間も手間もかかる文化のまちづくりは、「行政でなければできないこと」だと言う。

———「まちづくりは住民の意見を聞きながら行うもの」とよく言いますが、行政の役割はそこにとどまらないと思うんです。いろんな話を聞いたうえで、誰かが町全体の方向性を出さなければ、その方向には行かないし、継続もされない。民間で文化のまちづくりをやろうとしても、経済情勢や社会の変化に対応しきれなくなって途中で辞めますという話になるわけです。
やり方が正解かわからないですが、1985年は東川町の開拓90年の節目で、町のその後の方向性を考えて写真の町を始めました。10年、20年後の将来を見据えて決断し、それをやりきる決意があったんです。

ここに町が「宣言」を行うことの意味があるのだろう。「宣言」とは、町の未来の方向性を示すことなのだ。

市川さんは続ける。

———写真の町というのは、町が条例をつくり、町民もアイデアを出しながら、少しずつ少しずつ積み上げてきたもの。突発的にできたものではないんです。
この話をすると、ほかの市町村の方は「うちでは無理だ」と言うんですが、どこかで始めないと何も始まらないんですよね。そこがやはり当時の決断だったんだと思うんです。

町の存続を文化に賭けて始まった「写真の町」づくり。現在の東川町では、写真文化が他文化や産業などにも波及して、複合的な独自の文化が育ってきている。その営みを可視化し、対外的に発信する場となっているのが、冒頭に訪れた複合交流施設「せんとぴゅあ」である。次号では、せんとぴゅあを通して東川文化の現在を巡ってみたい。

東川は広大な上川盆地にあり、水田が一面に広がっている。被写体となるこの美しい田園風景が続くことも、写真の町に暮らす人や訪れる人にとって大切なことだ(提供:東川町)

東川は広大な上川盆地にあり、水田が一面に広がっている。被写体となるこの美しい田園風景が続くことも、写真の町に暮らす人や訪れる人にとって大切なことだ

写真の町 東川町 https://higashikawa-town.jp/

取材・文 /  末澤寧史(すえざわ・やすふみ)
ノンフィクションライター・編集者。1981年、札幌生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。出版社勤務を経て2019年に独立。編集した本に『東川スタイル』(玉村雅敏・小島敏明/編著、産学社)。Yahoo!ニュース 特集で「ちょうどよい『適疎』の町へ― 北海道東川町、人口増の秘密」を取材・執筆。2021年に出版社の株式会社どく社を仲間と立ち上げ、代表取締役に就任。絵本作品に『海峡のまちのハリル』(三輪舎、小林豊/絵)。共著に『わたしと「平成」』(フィルムアート社)ほか多数。本のカバーと表紙のデザインギャップを楽しむ「本のヌード展」主宰。

写真:成田舞(なりた・まい)
山形県出身、京都市在住。写真家、二児の母。夫と一緒に運営するNeki inc.のフォトグラファーとしても写真を撮りながら、展覧会を行ったりさまざまなプロジェクトに参加している。体の内側に潜在している個人的で密やかなものと、体の外側に表出している事柄との関わりを写真を通して観察し、記録するのが得意。 著書に『ヨウルのラップ』(リトルモア 2011年)
http://www.naritamai.info/
https://www.neki.co.jp/
編集:浪花朱音(なにわ・あかね)
1992年鳥取県生まれ。京都の編集プロダクションにて書籍や雑誌、フリーペーパーなどさまざまな媒体の編集・執筆に携わる。退職後は書店で働く傍らフリーランスの編集者・ライターとして独立。約3年のポーランド滞在を経て、2020年より滋賀県大津市在住。
ディレクション:村松美賀子(むらまつ・みかこ)
文筆家、編集者。東京にて出版社勤務の後、ロンドン滞在を経て2000年から京都在住。書籍や雑誌の執筆・編集を中心に、アトリエ「月ノ座」を主宰し、展示やイベント、文章表現や編集、製本のワークショップなども行う。編著に『辻村史朗』(imura art+books)『標本の本京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)限定部数のアートブック『book ladder』など、著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など多数。2012年から2020年まで京都造形芸術大学専任教員。