アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

TOP >>  特集
このページをシェア Twitter facebook
#151
2025.12

41年目の東川町 文化のまちづくりを俯瞰する

1 「写真の町」宣言がもたらしたもの 北海道・東川町
3)文化の経済効果

写真の町づくりのために始まった、「写真の町東川賞」。それは、国際写真フェスティバル「フォトフェスタ」のなかで授与される。フォトフェスタの会期中に、国内外の写真家に賞を贈る式典が行われ、関連展示や専門家のシンポジウムなどが開催される。ただ、当時はすでにカメラは家庭に普及していたとはいえ、スマートフォンが普及した現代ほど写真は身近なものではなかった時代。事業は、住民にとっては「生活とは関係ないもの」と受け止められた。

———町民には、写真の町は、なかなか理解が得られませんでした。ほとんどの町民は写真家でもカメラマンでもないし、有名な写真家が町内に住んでいたわけでもない。そういう素地のなかで、写真の町ですといっても、ほとんどの人には関係ないことだったわけです。「町がお金を使って、海外や全国の写真家に賞を出し、表彰式をやって、おいしいものを食べさせて帰らせている」みたいな誤解がずっと流布していました。
「文化で飯が食えるのか?」とよく言われますけど、最初の10年くらいはやはり経済効果を求められましたね。でも、文化で経済効果なんてありえないですからね、基本的に。結果として、町に来る人が増え、買い物が増えたりもする。ですが、そこまでに投入したお金や時間を考えると、簡単に計算できるようなものではないんです。

day3-43

day3-89

現在では「写真の町」にちなんだモチーフが、東川町役場や町中の至るところにある

だが、町職員たちはそこであきらめない。そうした町民の不安を解消するため、税金を極力使わない事業のあり方を模索した。

———なるべく町の税金を使わないでできるイベントにしたいと、各メーカーに協賛金をもらいに歩いたんです。予算の半分でも賄おう、と。経済効果は、メディアの報道などを広告換算して説明しました。本に書いてもらう、新聞に載せてもらう、雑誌に載せてもらう、テレビ、ラジオ……メディアに東川が取り上げられたら、それを町民の方に知らせる努力を一生懸命していましたね。

以前、元町職員の方に聞いた話がある。協賛金の依頼の際、企業の同情を誘うため、雨の日にわざとずぶ濡れになって出向いたこともあったというのだ。当時はバブル経済の好景気にあったものの、名も知られぬ小さな町の挑戦には泥くさい努力の積み重ねがあった。この“営業活動”は、2008年に生まれた「写真の町課」に引き継がれていく。

———今でも写真の町課では、毎年春と秋に各メーカーに、来年こういうイベントをしますと企画を持っていきます。その協賛金と国の文化事業の補助金などを活用し、地元から出すお金を極力少なくしながら、みなさんに来ていただいているんです。
そこで集めたお金も、町内で回す工夫をしています。飲食でも、設営でも、町内の事業者に発注して、少しでも利益がある方法を検討し、町民の方々に関わってもらえるよう考えています。

こうした取り組みから、東川町では公務員が“営業する”という独特な風土が育ち、企業との連携も進んでいく。写真の町づくりにはさらなる危機も訪れ、試練を乗り越えることを通じて、東川町役場にはユニークな組織風土が育まれていくのだが、そのことについては、後の回で触れたい。
話を、写真の町事業に戻そう。

day2-303

day2-282

東川町の事業に企業が連携し取り組む「オフィシャルパートナー制度」の一環として、写真展も行っている。「日本一健康なまちづくり」をテーマに協働するフィットネス企業と企画した体験型の展示 / 郵便局では2024年度に20回目を迎えた、東川をテーマとした写真コンテスト「ひがしかわ大写真展」の歴代受賞作品が展示された