1)「写真」が風景のなかにある町
東川町は、国道、上水道、鉄道の3つの「道」がない町だと言われる。周辺都市から町の中心部に向かって伸びるのも、国道ではなく道道1160号。その道を旭川方面から車で進むと、来訪者を迎えるかのように洗練された平屋の大きな文化施設「せんとぴゅあ」が目に飛び込んでくる。
私たちが東川町を訪れたのは、2025年10月初旬。「せんとぴゅあ」の広場の一角に、1枚の写真作品が幅2〜3mあろうかという大きな布に印刷され、木枠に展示されていた。写真のなかでは、オートバイのサイドカーに乗った赤髪の老女が、運転手の恋人とともに大きな口を開けて豪快に笑っている。

せんとぴゅあ敷地内に屋外展示されていたやなぎみわさんは「写真の町東川賞」第15回(1999年)新人作家賞の受賞作家
この写真は、現代美術作家やなぎみわさんによる「マイ・グランドマザーズ」シリーズの1枚。「東川賞の歴代受賞作家の作品を町内に展示しているんです」と東川町役場写真の町課課長・大角猛さんが説明する。

写真の町課課長の大角猛さん。東川スタイル課や学校教育課などを経て、2025年より現職。役場職員のひとりとして、「写真の町」に深く関わってきた
東川町では、1985年以来、写真賞「東川賞」を国内外の写真家に授賞する「東川町国際写真フェスティバル(以下フォトフェスタ)」が開かれていて、やなぎさんは1999年に新人作家賞を受賞している。屋外写真展は、2019年に始まり、今年は「未来への旅」をテーマに4人の受賞作家の作品を展示している。
写真の前に置かれた看板には、こんなふうに企画趣旨が書かれている。
「写真の町40周年を迎えた東川町は、長い間、多くの方々に支えられながら町づくりを行ってきました。(中略)4名の作家の作品を通して今この瞬間と向き合い、写し、残し、伝えていくことの大切さや、それを繰り返すうちに日常がもっと愛おしくなるということを感じられる機会となれば幸いです。」
写真の世界を旅することで、日々の暮らしを立ち止まって考えてみる——写真の町40周年をそんな機会としたいという想いも込められているようだ。
展示を企画しているのが、大角さんが率いる「写真の町課」という全国でも東川町役場にしかないユニークな部署である。同課は町の一大イベントであるフォトフェスタと全国の高校生が写真の腕前を競い合う「全国高等学校写真選手権大会(写真甲子園)」の運営を中心に、文化施設「東川町文化ギャラリー」の展示や写真文化の教育普及などを担っている。


東川町文化ギャラリー。写真文化発信における中心的な役割を担う施設として、1989年にオープンした。2021年にリニューアルされ、展示ギャラリーやスタジオ、「写真の町課」のオフィス、鑑賞後の憩いの場として活用できるラウンジがある
40年間つづく写真の町といっても、「作品やアートとしての写真は町民にとっても決して馴染みやすいものではない」と大角さんは語る。どうすれば写真文化への理解が広がるか、身近なものになるか。答えのない問いに、写真の町課の担当者たちは、日々思考を巡らせている。
展示企画を担当する写真の町課・主任学芸員の𠮷里演子さんは言う。

写真の町課、主任学芸員の𠮷里演子さん。「写真甲子園」への出場で東川町と出会い、2010年に移住。2011年に東川町役場に入職して以来、東川町国際写真フェスティバルの運営に携わっている
———屋外写真展を始めた理由の一つは、町民さんから「東川は写真の町と言われるけど、どこが?」と聞かれたときに、パッと答えられるなにかがほしかったからです。ギャラリーに入ってまで写真を見るのは敷居が高いとおっしゃる人もかなりいて。じゃあ、町を歩いていて写真にぶつかるような仕組みをつくったらいいんじゃないか、と。
この6年で企画はだいぶ浸透しました。夏に写真の入れ替えがあるのですが、その時に「お、また始まったね」とか「今年のあそこの写真、好きだわ」と伝えてくれる町民さんもいらっしゃって。屋外に写真がある風景が徐々に当たり前になってきていると感じます。
町内を歩いていると、受賞作家の屋外展示だけでなく、役場の裏通りや郵便局の窓、お寺の蔵の壁面など、いろいろなところに大きな写真が掲示されていることに気づく。この6年の街並みの変化だ。
「お寺は行政とは関係なく、自主的にはじめてくれたんですよ」と、𠮷里さんはよろこんでいる。街角に写真がある風景は、町民にも受け入れられつつあるのかもしれない。
東川町は、2025年に写真の町40周年を迎えている。前年の2024年は、フォトフェスタが40回目、町の開拓130年でもあったことから、この2年間はさまざまなイベントが開催されてきた。だが、著名作家を呼ぶのではなく、町にゆかりのある人たちと40年を祝っているのが印象的だ。
𠮷里さんたちが企画したのは、東川に住むさまざまな写真家18人の展示「東川×写真×私」、そして、飛驒野数右衛門さん(1914-2008)の屋外写真展など。飛驒野さんは元町職員で、町を70年間撮り続けた写真家でもある。彼が撮影した1940〜50年代ごろの町の風景を、現在の風景に重ねて展示したという。
———町にゆかりのある写真だと、普段はあまり写真を見ない方でも興味を持ってくださるんです。「昔はここに電車が通っていた」と聞かせてくれたり、「あれはいつごろの写真?」とギャラリーに聞きに来てくださったり。40年間のつながりを生かしながら、町の人により興味を持ってもらえる内容を意識したのが、40年の節目だったと思います。
写真の町宣言から40年。現在、写真が日常風景に溶け込んできている東川町だが、写真の町とは、「写真が風景のなかにある町」ということだけではない。そのことをひもといていくために、まず、写真の町の歴史を遡ってみよう。そもそも写真の町はどのように始まったのか。当時を知る副町長の市川直樹さんに話を聞いてみた。


