4)ファッションは「旅」である 文化・環境・経済・社会
ナオミ・ブイヤールさん2
■知識交換、研究、教育の三位一体
———現在のシステムにたいして批判的である一方、産業界とも協働されておられるところが興味深いです。
私たちのディレクターであるディリス・ウィリアムズが産業界のデザイナーだったことから、現在「知識交換」と呼んでいるブランドや企業との協働が核に据えられました。そして研究と教育――この三位一体がセンターの大きな特徴であり、ディリスが切り拓いたものです。
すべての企業がサステイナビリティの流れに乗る必要があります。事業の長期的な持続可能性を考えるなら、この問題は避けられません。短期的な金銭的利益のために安価な製品を生み出すことは、人や地球に害を及ぼすものであり、きわめて短絡的な発想です。
私たちは、企業に対して「長期的には今準備しておく方が、新しい法律に合わせるために大規模な変化を迫られるよりも良い」ことを理解してもらおうとしています。
最近、EU議会は拡張生産者責任(EPR: Extended Producer Responsibility)と呼ばれる法律を可決しました。これは、繊維廃棄物の回収・選別・リサイクルにかかる費用と責任を、公的機関や納税者(一般市民)から生産者へと移すものです。これは非常に大きな転換であり、衣服、アクセサリー、繊維製品、履物のすべての生産者が、自社製品の回収とリサイクルにかかる費用を負担しなければならなくなりました。過剰生産を抑制するための重要な一歩といえるでしょう。
数年前のことですが、ファッション雑誌とワークショップを行った際、「サステイナビリティなんて、ベージュのリネン服なんか売れないよ」と言われたこともあります。しかし今では、人々の認識は大きく変わりました。大学にいると、次世代の動向がよく見えます。多くの学生たちは「古着を買う」「新しい服を買わない」という選択を普通にしていますし、リセールマーケットも広がっていますが、新しい服の購入量は減っていません。私たちは企業に対してデザインや実践の変革を求めつつ、同時に新しいビジネスモデルの可能性も考えます。自社ブランドの古着をどう扱うのか、再販売市場にどう関わるのか。これらはすべて現行のシステムの中で取り組めることです。
■過剰消費と過剰生産
———センターは環境問題に限定せず、幅広い関心から取り組んでいます。
私たちは「文化・環境・経済・社会」という四つの持続可能性(アジェンダ)を等しく重要だと考えています。経済は「サステイナビリティと対立する」と見なされますが、そうではありません。小規模事業者が従業員に適正な支払いもできないなら、言葉の基本的な意味で「持続可能」ではないのです。
文化的な実践を尊重し、さらにはそれを発信していくこと。そして、ファッションに携わる人々に公正で公平な労働環境を保障し、地球のウェルビーイングを守ること――これらはすべて相互につながっています。ファッションとサステイナビリティは「旅」なのです(*)。企業が「当社の製品はすべて持続可能になりました」と言い切ることはできません。製品が人々の手に渡った後に何が起きるかも、その旅の一部だからです。
———日本と比べると、イギリスでは市民も産業も政治家も環境意識が高いように思います。
そうかもしれません。ただ、ロンドンや大学という場は必ずしもイギリス全体を映しているわけではありませんし、人々の意識には「ファッションは環境に悪い影響を及ぼす」と分かっていながら、どう行動すべきか分からない「knowing–doing gap(知っていても実行できないギャップ)」があるのも確かです。私たちは「小さなことでもいいから変えられる」と伝えています。「服を本当に買う必要があるか」「捨てる道は存在しない、リユースやリメイクできる」といった考え方です。
結局のところ、問題は「過剰消費」と「過剰生産」です。自然資源や人間の労働を、濫用できる無限の資源として捉えるのはやめなければなりません。私たちのウェルビーイングは、地球のウェルビーイングと直接つながっているのです。政府は「循環型社会」を推進していますが、それは過剰生産を止めるものではありません。リサイクル技術が進歩して混紡素材も再生できるようになりつつありますが、それに依存してはいけません。問題の根本には、依然として過剰生産があり、それが地球のシステム、人間、そして人間以外の存在にまで被害を及ぼしているのです。
(*)服が、布、皮革など素材から、デザイン、製造の行程を経て商品となり、小売・流通を通して人びとに購入され、日々着られる。その後、捨てられたり、リサイクルされる、というプロセスを「旅」にたとえている。
■変化を起こす主体性を
———政策立案にもかかわっていると聞きましたが、このような研究センターとしては異例なことですね。
ディリスは「ファッションとサステイナビリティに関する超党派議員連盟(All-Party Parliamentary Group)」の特別顧問を務めています。これは政府の責任を問う役割を果たす機関です。数年前には18の勧告を政府に提出しました。例えば「衣服を1点作るごとに課税する」というものです。その狙いは大量生産に対して高いコストをかけさせることでした。どんなに職人が作り、優れた素材で長持ちする服であっても、300万点生産すれば持続可能ではありません。
しかし最終的に、政府はその18の勧告をすべて却下しました。その後、政権交代があり、保守党政権下ではファッションは環境委員会の重要課題ではなくなりました。政権が変わるたびに振り出しに戻るのです。ですから進展は非常に遅いですが、それでも重要な活動です。
———次の課題は何でしょうか。
よく議論していますが、まず、ファッションに関わるすべての人の知識・スキル・能力を高め、変化を起こす主体性を持たせること。市民に責任を押しつけるのではなく、ブランドや政府に説明責任を促す活動は今後も必要です。16年経っても、やるべきことはまだたくさんあります。ファッションが自然との関わりの中で、そして人間を超えた世界において豊かに発展していくためには、いまほど私たちの活動が必要とされている時代はありません。
イギリスのファッション教育では、大学全体の戦略立案、教員のカリキュラムや授業運営への組み込み、プロジェクトや研究、民間企業とのコラボレーション、さまざまなレベルで組織的にサステイナビリティへの取り組みが行われている。形だけ掲げるのではなく、全学的な取り組みを通して、学生にその発想を根づかせていこうとするアクションプランを実行しているところに、彼らの本気度が感じられる。
センターはこの動きの一部であり、また大きな影響を与えてきた。彼らは人びとの意識を変えることで、現在のシステムに変革をもたらそうとしている。彼らが批判的思考をもって課題解決に取り組んできた姿勢には、日本の私たちも学ぶべきところが多いと思われる。
その一方、現在イギリスでも「サステイナブル疲れ」が指摘されており、世界で保守反動の勢力が台頭するなか、この動きがどこへ行くのか、注意して見ていく必要もあるだろう。
次回では、イギリスのサステイナブル・ファッションの動きを最前線で追ってきたサンディ・ブラックさんに話を聞いてみよう。
京都女子大学教授。服飾文化論。著書に『20世紀ファッション』(河出文庫)、編著に『ファッションヒストリー1850−2020』(ブックエンド)、『コスプレする社会』(せりか書房)、共著に『映画で読み解く現代アメリカ2トランプ・バイデンの時代』(明石書店)など。2024年ロンドンメトロポリタン大学客員研究員。
85年に東京でフリー・フォトグラファー。 90年からロンドンをベースに、ミュージック、ファッション、旅、映画、演 劇、ミュージカル、バレエ他、英文化全般を対象に撮影活動をしている。 ミセス、装苑、ハイ・ファッション、ELLE、アエラ、GQ、Vogue Japon、花時間、スカイワード、 デパーチャー、Number、ペン、プレーヤー・マガジン、ギター・マガジン等 多数。 連載は93年の6月号から『レコード・コレクターズ・マガジン』で〝ブリティッシュ・ロックの肖像″を、毎月2ページ執筆&ポートレート撮影。 現在も継続している。
近年の仕事に、高松宮殿下記念世界文化賞受賞者 アイ・ウェイウェイ 艾未未撮影 (産経新聞他)/ 料理研究家 エリオットゆかりホームページ制作 https://www.yukari-elliott.com/ ブレイディーみかこ公式フォトグラファー (文春社、新潮社、リクルート社、東本願寺出版など)/ 「世界の果ての理想郷 セブン・シスターズ編」(Signature2022年)/「80億人の旋律」アイルランド 血の日曜日編、ミュージック・セラピー編 、ヒルズブラ悲劇編(共同通信2023年)/「ロンドン近郊列車の旅」 (家庭画報2023年)/「Heanvenly Cream」( 2枚組CD&LPのジャケット)(Bluestown Music2023年)など。
文筆家、編集者。東京にて出版社勤務の後、ロンドン滞在を経て2000年から京都在住。書籍や雑誌の執筆・編集を中心に、アトリエ「月ノ座」を主宰し、展示やイベント、文章表現や編集、製本のワークショップなども行う。編著に『辻村史朗』(imura art+books)『標本の本–京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)限定部数のアートブック『book ladder』など、著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など多数。2012年から2020年まで京都造形芸術大学専任教員。