2)「何もない場所」はどこにもない
——ツアーに参加して、それまで平面として見ていた世界が急に立体になるような驚きがありました。参加者から積極的に質問も出ていましたが、参加者との交流を通して、感じていることはありますか。
それぞれの地域の風景をつないでいくのは、私たち研究者ではなくて、地域に今生きている人たちです。ですから、その人たちにその価値がどうやったら伝わりやすくなるのかということは、ずっと考えてきました。そうでなければ、近代の技術革新と均質化によって、その土地で磨かれてきた固有の風景は続いていかない。風景の成り立ち、つまり目に見えるものと目に見えないものとの関わりを調べていくと、それぞれの場所がどんどん愛おしくなっていきますよね。
先日ご案内したのは岡崎ですが、同じような見方で、住んでいる土地や生まれ育った土地の風景を見直したときに、その場所が大事に思えてくるし、唯一無二のものになってくる。自己満足かもしれないですが、「こんな何もないところに住んでしまって」と思うよりも、自分が暮らす土地にしかないものに目を向けて、その場所を肯定しながら生きる方が悦びの多い生になるのではないかなと考えています。
——住んでいる人にとっては当たり前の、変哲のない風景であっても、そこをあらためて見出すことは、豊かに生きることにつながりますね。
「何もない場所」は存在しません。どんなところでも自然環境と関わりますし、日本でいえば何らかの人の営みが必ずある。新興住宅地でさえ、自然や過去の土地利用が一掃されて、真っ白な状態からつくられているわけではないです。
自分の住んでいる場所の面白さをもっと違う見方でとらえることができたら、生き方の選択だって変わってくる。都市へ一極集中するのではなくて、どこで、誰と、何をして生きるのかをやわらかく発想できるようになる。それぞれの場所や地域を肯定した先にある未来って、変わるように思います。
——白い土地はないというのは、すごく重要なことだと思いました。「何もない場所」というような捉え方をしてしまうと、そこを離れて、都市のような盛り上がっている場所?に行かなければ、という強迫観念も出てきてしまいますね。
それから、自分たちの地域には何もないからと、他から借り物を持ってくることもあります。「それ本当に必要なの?」と思う時があって。見方を変えれば、その地域なりの個性や作法があるのに、そうした足元にあるものを見ない、見ようとしていないのですよね。
——お話を伺って、地域の芸術祭などのことも考えさせられます。芸術祭をきっかけに外部の人に来てもらって、さらには移住してもらって人口を増やしたいと。ただそのやり方が、世界的に有名なアーティストを呼んで、一時的に賑やかになるかもしれないけれども、芸術祭が終わると後に続いていかない場合もあるように感じます。人に来てもらうことが目的で芸術祭をやるのであれば、借り物を持ってくるだけでなく、その地域の元ある魅力を輝かせていくような方向性も大切だと感じました。
外の力によって、新しいものが埋め込まれることで生まれる前向きな変化も、もちろんあります。特にアートにはそうした力がありますよね。それが根付くものになるかどうかは、地域の自然や来歴、暮らし方などへ敬意が払われているかが、ポイントのひとつではないでしょうか。

琵琶湖疏水の流れる水路のきれいな水底には、淡水貝も生息している。それを聞いて参加者も盛りあがる