3)「田舎センス」を大切に、島の未来を切り開く人間を育てる
隠岐國学習センター センター長 豊田庄吾さん(2)
前号の前編で阿部さんや向山さんが言っていたように、島が持続可能な社会であり続けるためには、この島で一次産業の担い手となるひとを育てることが必須である。しかし一方で、子どもたちには広い世界を知ってもらうことが豊田さんの願いでもある。その両立は簡単ではないように思われるが、豊田さんはどう考えているのだろうか。
———そこは、両立できる、両立させたい、と僕は思っています。自分がここで教育に携わるうえでの軸として、「島の未来を切り開いていくひとを育てたい」ということがずっと変わらずあるからです。子どもたちにグローバルな価値観を知ってもらうと同時に、島の一次産業の担い手をどうにかして育てたいんです。僕たちはそのために向山さんのような農家の方をお呼びして、島の農業の課題について子どもたちに知ってもらい、どうしたらいいかを考えさせる授業をやったりもしています。そうした授業を受けることで、実際に、自分が島に貢献するためには何を学べばいいのかと考えるようになり、農業と経営を学ぼうというはっきりとした目的を持って大学に入った子もいます。
もちろん、彼らが島に貢献できる力をつけて戻ってくるのは10年、20年後になるかもしれません。でもそこは長いスパンで考えて、やっていかないといけないと思っています。また、教える側の僕たち自身も、この地域の未来を切り開こうといった気持ちを持ち、当事者のひとりとして生徒と向き合うことがとても大切だと感じています。そうありたいと強く思っています。
豊田さん自身も、東京から移り住んできて以来、この島の価値観を徐々に身体にしみこませてきた。たとえば島のひとたちは、みなで盆踊りの準備をするときなど、毎年合理的にすばやくできるようにマニュアル化して、というふうには考えないという。やることが曖昧にされたまま、毎年、ここはどうしようか、と相談しながら進んでいく。都会的に言えばそれは無駄かもしれなくとも、島ではそこで生まれる会話やコミュニケーションが重要な意味を持つ。そうしたことも全部ひっくるめて盆踊りであり文化なのだと、豊田さんは感じるようになっている。そのような感覚を彼は「田舎センス」と名付けて大切にする。豊田さんは、島のひとたちが大切にしているその感覚を、生徒たちや、新しいスタッフたちにも理解してもらいたいと思っている。
———海士町の未来をどうやってつくっていくかを考える「明日の海士をつくる会」に僕も入っていて、まち・ひと・しごとに関して海士町版の総合戦略のようなものを策定するメンバーになっています。そこに入ることで、僕も教育の枠にとどまらず、福祉や医療、ものづくりなど幅広く勉強をしたいと思っています。「明日の海士をつくる会」のメンバーはみな、自分たち自身がまちづくりの当事者としてやっていくんだという気持ちをもっています。僕らはよく「挑戦者を増やしたい」ということを言っています。僕自身、自分のキャリアアップのためとかではなく、自分のやりたいことと地域のためになることを積極的に交わらせ、そのなかでチャレンジするひとでありたいと思っています。そういうひとをもっと増やしていきたいって話しています。
挑戦者を増やしたい。力強い口調で豊田さんはそう話した。その思いを胸に、彼は島の子どもたちとも向き合っている。
———僕らが今、子ども向けにやっていることもまさにそういうことなんです。将来、この地域のためにチャレンジする、この地域の未来を切り拓いていく大人になるひとを育てたいと思っています。
教育はとりわけ時間がかかる。7、8年といった期間で成功だなどといえるものではないし、問題がなくなるということも決してない。ただ、豊田さんの言葉には強い決意が感じられた。どんな困難に直面しても、「島の未来を切り開いていくひとを育てる」という意志は絶対に曲げない、そして自分自身も、島の未来を切り開いていくひとのひとりでありつづけたい、と。
ここで学んだ子どもたちのほとんどは、いったんは都会に出ていくことになる。そのなかから、いつか帰ってきて、都会で身につけた力を島に持ち帰る子がきっと出る。じっくりと時間をかけた後継者づくりは、すでに始まっているのである。