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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#140
2025.01

時を重ねた建物を、ひらきなおす 3つの洋館

3 人とものと、建物と 文化の厚みを失わせない 佐渡・旧若林邸
1)見捨てられつつある佐渡の文化のために

旧若林邸は新潟県の離島、佐渡島の中央部にある。医院として使用されていた日本館と、住宅や接客用に使用されていたと考えられる西洋館が渡り廊下で連結された、延床面積418㎡の建物だ。1913(大正2)年頃には現状規模の建物になっていたと推定されるもので、築100年を超える。日本館は料亭が医院へと転用されたという記録もあり、幾何学的な分割デザインのガラス戸や、色ガラスが用いられた扉など、趣のある装飾や建具が随所に残る。

中心となって再生を推し進めているのは、古玉かりほさんだ。佐渡島出身で、高校卒業後、進学のために上京。美術雑誌の編集者を務める傍ら、あらためて美術を学ぶために大学の通信教育課程に社会人入学した。そして卒業し学芸員を務めた後17年秋に佐渡にUターンした。

美術系のバックグラウンドを持つ古玉さんが建物の再生に勤しむのはなぜか。背景には失われつつある佐渡の文化を残したいという、社会人学生時代に抱いた思いがある。

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古玉かりほさん

———2014年、佐渡島では市立博物館と資料館の2館の閉館が決定されました。ちょうど働きながら大学で美術を勉強していた時期に、行政から予算が削られて故郷の文化が見捨てられつつあることを目の当たりにしました。ある館では資料を残したまま、電気や空調を切って倉庫化させてしまうとも聞き、大学で学んでいる博物館学と運営実態があまりにも乖離していると危機感を抱いたんです。そこで佐渡の博物館の統廃合をテーマに研究を進め、卒業論文としてまとめました。

研究にあたり佐渡に何度も足を運び、複数の博物館や資料館の設立経緯を調査した古玉さん。特に着目したのが1972年に開館された、佐渡國小木民俗博物館だった。船大工が築いた町並みが重要伝統的建造物保存地区に指定されている集落・宿根木(しゅくねぎ)にほど近く、廃校を利用した空間に船大工用具から食器類、仏壇、テレビまでさまざまな南佐渡の民具が所狭しと陳列された、見応えある博物館だ。設立にあたり、民俗学者の宮本常一が指導にあたったことでも知られる。

———ここは住民たちによって民具が持ち寄られ、そして住民たち自身で整理や記録がなされて設立された博物館なんです。当時を知る方に話を聞くと子どもの頃に手伝った記憶がおありだったりと、みなさん愛着をお持ちです。閉館されてしまう博物館もある中で、貴重な文化財を残していくために必要なのは、ものと人との関係をつないでいくことだと痛感しました。

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旧若林邸・日本館の夜景。日本館は『畑野町史・総篇 波多』によると1913(大正2)年に料亭山屋を譲り受け、医院として開業されたとあるが、幾何学的な分割デザインのガラス戸から光が漏れる姿は、かつて料亭であったという記録に説得力を与える

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西洋館と日本館が、玄関と上部にバルコニーのある渡り廊下で連結されている

西洋館より、日本館との連結部を見る。西洋館と日本館の床のレベル差や向きを調整しながら空間に変化を与える巧みな設計を感じさせる

西洋館より、日本館との連結部を見る。西洋館と日本館の床のレベル差や向きを調整しながら空間に変化を与える巧みな設計を感じさせる

色ガラスを用いた建具

色ガラスを用いた建具