2)何より大切な「一次産業」。その先行きを考え、動く
株式会社 巡の環 阿部裕志さん2
阿部さんがあげる一番の問題は「一次産業」だ。
———まずは、一次産業の先行きが見えないことです。一次産業、すなわち農業や漁業は、海士町にとって何よりも大切です。しかし後継者がいないんです。
農業や漁業を担う次の世代がいないのは、日本の多くの中山間地域に共通する問題である。島の若者の大半がとりあえず島外に出ていく海士町もそれは変わらない。
I ターンでやってきた若者たちが力にはなっていないのだろうか。
じつはこの日の午前中、車で島南部の崎漁港に行ってみると、漁を終えた船がちょうど港に戻ったところで、10名ほどの若い男たちが獲れたアジを大きさ別に仕分けしていた。聞くと彼らは、全員 I ターンのひとたちなのだった。しかも、彼らを取りまとめる漁労長はミャンマー人なのだという。それゆえ、島の一次産業には I ターンのひとが貢献しているような印象を受けていたのだ。
———漁業には、確かに I ターンのひとが多く働いています。地元のひとがどんどんいなくなって、結果としてIターンのひとだけになってしまったという状況だと思います。I ターンのひとが増えていくこと自体はいいんです。でも地元のひとがいなくなっていることを懸念しています。
なるほど、確かに、漁港で働く I ターンのひとが多いといっても、漁業の後継者がいるかどうかはまた別の問題である。一時的に滞在する人間だけではなく、ずっと島に住んで漁業を引き継ごうというひとがいないと問題は解決しないのだ。さらに農業に関していえば、漁業のようなかたちで関わっている I ターンの人間も多くはない状況のようである。
———今以上に一次産業が衰退していけば海士町らしい文化はなくなってしまうでしょう。一次産業があるからこそ、二次産業も三次産業も回るのです。海士町はなんといっても、一次産業なんだって僕は思っています。島のひとにとったら、いくら I ターンのひとが増えてもそれでは結局、根本の問題は解決しないという気持ちがあるんです。
そのような認識のもと、阿部さんも一次産業に貢献すべく、さまざまな取り組みを行ってきた。そのひとつが、農薬の替わりにアイガモを使ってつくるアイガモコシヒカリを売ることである。
———アイガモを田んぼに放して虫などを食べてもらうことにより、農薬を使わずに米をつくることができるのですが、海士町でもそれを行っている農家さんのグループがあります。僕らは農家さんたちがやっていけて、そこの後継者を絶対に雇える状態にしたくて。まず農作業は人手がいると思って手伝いに行っていたら、人手よりも販路がほしいって。ちゃんとした価格で買ってくれるルートがほしい、と。それもあって米をやろう、と。そこのお米、アイガモコシヒカリを、適正な価格で売るための販路を開拓しようと8年前に計画して、動き始めました。
今ではようやく年間3トン捌ける状態になりました。私たちは、このお米を売ることで、農家さんがひとを雇える余裕をもてるようにしたいと思っています。そうしないと後継者が育たないからです。年間300万円払える状態をつくることを目指していますが、今はまだそれが150万。あと150万円利益を増やさなければいけない。ここをどうすればいいかと、今考えているところなのです。さらには、最近は海士町全体で稲作農家を守るために、特色ある米づくりを始めており、そのプロデュースも手伝わせていただいています。
しかも阿部さんは売っているだけではない。実際に自分たちでも米をつくっているのである。
———僕らも米を売る人間として、つくることの難しさを知っていないといけません。そういう思いで、6年前から自分たちでも田んぼをやって米をつくっています。移住した当初は田植えと稲刈りだけを手伝わせてもらっていたのですが、それでは農家の代弁者にはなれないなと思ったんです。日々の水管理やため池掃除、草刈りなどいろんなことを農家は毎日やっている。今日もこの後、うちのスタッフが水のようすを見に行きます。
最初の2年間、阿部さんはただ島だけを見続け、島に入りこもうとしてきたと言った。その行動とも共通するが、彼は常に、島のひとの目線に立ち、島のひとがしている経験を可能な限り自分の肌で知ろうとしているのだ。そこに、海士町に関わっていこうとする強い意志が感じられる。そして阿部さんが地元のひとに強い信頼を得ている所以もわかるのである。