1)この地の料理を絶やさない
この地域の家庭料理が途絶えてしまう――「津軽あかつきの会」会長、工藤良子さんが立ち上がったのは1990年代後半のこと。当時工藤さんは50代。津軽に生まれ育ち、勤め人としての生活も長かったが、一時は仕事に子育てに忙しく身体を壊したこともあった。そうした自身の経験もあり、食に関心を寄せた。地元の料理を見直すようになり、「昔の母の料理が食べたいと思ったときに、そのつくり方がわからなかった」ことが、いよいよ動き出す大きなきっかけになった。
———どこの村にも「おべさま」がいて。おべさま、わかりますか? 物知りのばあちゃんのことです。料理でも何でも知っている、そういう人たちに聞きに行ったんです。ふだんはみんな農家で忙しいから、忙しくない冬の間に聞きに行って、レシピを書き留めて、つくって食べてみたり。そういうことを続けていました。
レシピを各地から「掘り起こす」とき、おべさまたちが緊張して参ってしまわないよう、工藤さんは自らの話もしながら自然体に聞くことを心がけた。ノートを構えることはせず、話してくれたことを聞き逃さずカレンダーやチラシの後ろでも何にでも、そのとき手元にあるものに書き留めた。聞いたものは、自分でつくってみる。こうした繰り返しに、数年を費やしたという。当時、工藤さんは道の駅にある直売所で働き、農家の女性たちと餅や漬物を販売して好評を得ていた。
———10年くらい職場のリーダーをやって、地元の農家の仲間たちと親しくなりました。楽しかったので、いずれ辞めてつながりがなくなるのはもったいないと思って「これからも、たまには美味しいもの食べに行ったり、温泉行ったりしよう」って誤魔化して、活動に誘いました(笑)。そうして4、5人のグループができて、みんなでおべさまたちに話を聞きにいったり、調理をしたり。このくらいの規模で、同じ思いのもとに好きに活動できていることが良いと思っていました。そしたら自然にメンバーが増えて来たんです、仲間になりたいって。
ささやかに始まった取り組みは徐々に賛同者を増やし、2001年に「津軽あかつきの会」が立ち上げられた。現在、30代から80代の会員およそ40数名が在籍している(2024年5月時点)。メンバーが増えるにつれ、レシピも厚みが増してゆく。今では、200種を超えるレシピが集められた。