2)盆栽鉢を生かし直す TSUNE ZUNE2
高橋さんが常滑に移住したのは、TSUNE ZUNEがオープンした2015年。TSUNE ZUNEから徒歩数分、やきもの散歩道の中ほどに事務所をかまえた。当初は自宅も隣接していたから、家族にとっても馴染みの場所だという。
———最初は、山源陶苑の(鯉江)優次さんが連れて来てくれたんです。僕にとっては、大前提としてくつろぐ場所。それにプラスして、いろんな人と知り合ったり。身近な喫茶店という軸ですね。こういうハブ的な場所があるって大事で。みんな息抜きもしたいし、ここで出会ったりもしたいし、いろんなことが場の作用で起こっていくから。場って大事だなって思いますね。
片岡さんはTSUNE ZUNEを開く前、東京にいたときに、山源陶苑が始めた器シリーズ「TOKONAME」のことを知った。
———めちゃくちゃ刺激はもらいましたね。常滑がこんなことになってる!ってすごく印象に残ったことを覚えている。こんな見せ方なかったと思って、誰がやっているんだろうって思った。高橋さんと知り合ってからは、いろんな人を外から連れてきてくださった。
高橋さんが「常滑焼DESIGNSCHOOL」をやっているときも、同じくらいの世代で、これから何かやりたい人たちが集まった時期だったし、(高橋さんが)そういうのを見せてくれて、会わせてくれた。ぎゅっとしていた年でしたね。
この先、片岡さんは1階を改装して「盆栽スペース」を設けたいと考えている。
———日本国内でも、常滑は盆栽鉢の産地のようなんですね。身内ですら本当にそうなのか、にわかに信じがたいんですけど、海外で聞くと、盆栽を買いに行くなら常滑という人たちもいまだにいて。
日本では一般的にはあまり知られていないが、海外では盆栽鉢といえばTOKONAME、というくらい知名度が高いという。現在の世界的な盆栽ブームもあって、常滑焼のアイテムとしてさまざまな可能性がありそうだ。
昨年、片岡さんは父・片岡貞光さんの日記をまとめた冊子を刊行した。1967年、22歳の貞光さんはひとりでアメリカを旅しながら、盆栽鉢を商いするべく奮闘した。日記には、当時の常滑窯業の状況や人のつながり、そしてカリフォルニアで盆栽を商うことの苦労や喜びが率直に記されている。それだけでも貴重な資料だが、片岡さんの作成した山秋と常滑の植木鉢などに関する年表、1950年の朝日グラフに祖父が掲載された記事なども収められ、読みごたえがある。
片岡さんの動きに呼応するように、高橋さんは盆栽鉢のデザインを応用するべく、リサーチをゆっくり進めている。
———盆栽鉢の成型技術やディテールで器がつくれないかな、と。ろくろ成形とは違って「型打ち」といって、土の板をつくって手の甲や指などで型に貼り付けていくんですが、もともと金属器を模したであろう角張った造形がプロダクトデザイン的にとても面白いんですよ。他の産地にはないものなので。
高橋さんは、リサーチの一環として、貞光さんにインタビューを行ったという。22歳でアメリカを行商した青年は、数十年を経て、盆栽業界で知らぬ者のいない存在となった。その生き方を敬意をもって受けとめながら、ものづくりは始まっていく。
常滑の日常によりそうTSUNE ZUNEは、常滑の歴史をこれからにつなぐ場でもあるのだと思う。場と、ものと。新たな「生み直し」は、有機的に関係しながら、常滑焼の新境地をひらくことになるのかもしれない。