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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#116
2023.01

木彫刻のまちを、文化でつなぎなおす

1 古民家×伝統工芸 まちの底力を引きだす 富山県南砺市井波
1)友人をもてなす感覚で 空き家×地元工芸

石川県の古都・金沢から、路線バスに揺られること約1時間。富山県西南部に、南砺市井波はある。金沢-井波間のバスは、1日に6本のみ。鉄道は通らず、訪れる人たちは車を利用するのが中心。1390年に建立された浄土真宗大谷派の別院・瑞泉寺の門前町として古くから信仰を集め、栄えてきたまちだというが、「木彫刻のまち」として知る人は、さほど多くはないだろう。
井波に彫刻が伝わったのは、今から約260年前。1763年に火災で消失した瑞泉寺を再建するため、京都の東本願寺の御用彫刻師・前川三四郎が井波に派遣された。その際、前川が地元の大工4人に技術を伝えたのが「井波彫刻」のはじまりとされる。

門前の参道・八日町通りを歩いていると、少し昔の日本を訪れるような感動がある。

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沿道に並ぶのは、観光地によくある土産物屋ではない。木彫刻の職人や作家たちが工房を連ね、繊細な彫刻をほどこした看板が、木造2階建ての町家を彩る。昔ながらでありつつも、文化のまちらしく、古都の洗練された佇まいがある。ショーウインドウのように大きな工房の窓の向こうには、一心不乱に机に向かう人の姿もちらほら。
工房のなかには伝統行事の獅子舞に使われる獅子頭や、神社仏閣に納める龍神をかたどった大きな柱、季節の植物が彫刻された華やかな欄間などが所狭しと並んでいて美しい。工房の作業場をのぞかせてもらおうと戸を開けると、木彫の素材によく使われる楠の木の匂いがふわっと漏れてくる。

まちなかを歩いていると、一昔前の、古きよき日本の原風景に彷徨いこむような気分になっていく——。

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井波彫刻は躍動感のある精緻な彫りが特徴。基本的に彩色せず、彫りの美しさを見せる

Bed and Craftは、そんな門前町に点在する6つの宿泊施設だ。宿はそれぞれ建具屋や料亭、病院などだった地元の空き家(古民家)を改装したもの。
各宿にはオーナーがいて、地元の木彫刻家などの作家を1人フィーチャーして空間を彩っている。宿泊と工芸をつなぐコンセプトは同じだが、一軒一軒の佇まいはまったく印象が違う。
空き家改修というと、DIYされた手作り感のある古民家を想像する。だが、Bed and Craftのそれぞれの宿は隙なく設計され、プロの職人たちがきめ細やかに仕上げ、端正ながら温かみがある。その洗練は、よくある和洋折衷ではない。中国の「中」の佇まいが織り込まれている。

企画・設計を手がけたのが、建築家の山川智嗣さん。山川さんは、富山県富山市生まれ。明治大学で建築を学び、カナダに留学。その後、2009年に中国・上海へ渡り、国際的に知られる建築家・馬清運氏のもとで、チーフデザイナーとして公共建築や商業建築の設計を手がけてきた。
山川さんが井波に住むようになったのは、2016年。同年には、Bed and Craftの活動を始めた。とはいえ、もともと宿をやろうと思っていたわけではなく、なりゆきでオフィス兼自宅の2階部分を宿泊スペースにしたのだという。そもそも、山川さんは井波になぜ来たのだろうか。

山川智嗣さん

山川智嗣さん

———職人のいるまちに住みたい、という思いがあって、井波に来ました。上海で建築設計の仕事をしていたときは、全部ゼロイチを現場でつくり上げていくっていう感覚がすごく面白くて。方や、僕は建築の教育は東京で受けていて、その建築のつくりかたを見ていると、組み上げられたパーツのような感じがする。つくるというより選択の連続みたいな。その結果、飲食店とか宿泊施設に行っても「この照明あそこでも見た」とか「この椅子はあそこと一緒」などとなってしまいます。作り手としては、選択じゃなくて創作をしたいという思いがあった。職人がいるまちに住めれば、自分の思いを一緒に叶えてくれる人に出会えるんじゃないかと思ったんです。

住むにあたっては、飼い猫がいたこともあり、空き家を購入して改修した。元建具屋だった建物はかなり広く、200㎡はある。1階でオフィスも自宅空間も事足りるため、2階はまるごと空いていた。1棟目のTATEGU-YAは、その建物を宿としてひらいたのだという。

———海外の友人たちが「トモが東京じゃなくて、井波っていうよくわからないところに住んでいるらしい」と聞きつけて、よく遊びに来るようになった。こんなに来るんだったら宿にして、友人以外の人にも使ってもらったらいいんじゃないか、って。それで、自宅の2階に自分たちの友人をもてなすために宿をつくったのが始まりです。だから、大勢の人を呼びたくて始めたわけではなく、自分の友人たちや大好きな人たちをもてなしたい、という発想で始めました。その感覚は今でもずっと変わらないですね。

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自宅兼オフィスだったTATEGU-YA。広々とした建物を1棟貸しするように。その他の宿も同じく1棟貸しにしている