2)「社会的」農業5年目の現在地
フードハブは、「地域の食と景観、食文化を次につなぐ農業者をみんなで育てる」ことを「社会的農業」と位置付けている。一読すると「なるほど、それはとても良い」と思う。しかし、この言葉を実践して血肉化していくのは、おそらく簡単ではないだろうとも思う。フードハブ立ち上げ時に農業担当として参画し、農業指導長に就任した父・茂さんとともに自社農園「つなぐ農園」の運営や就農者の育成に携わってきた白桃さんは、どのように社会的農業に取り組んできたのだろうか。
———社会的農業の「農業」については、自分たちは「仕事」として捉えている部分もあり、そこは生業として続かないといけません。なおかつ、「社会的」というところでは、地域の景観や環境を守ることでもあり、また地域の人たちの食べ物をつくる者としてずっと続けていかなければならないことでもあります。6年が経つ今、このまちで農業という仕事をして家族を養っていくことはできるだろうという可能性が、自分のなかで見えてきました。ただ、この頃は「社会的」というところで改めて考えることがあったんですよ。
昨年、フードハブはかつて棚田だった段畑を冬場に人参を育てる畑にした。すると、6月には田植えを終えて水を張った田に青空が映り、秋には黄金色の稲穂が揺れる風景だったところに、土壌を保護する黒いマルチシートを敷きつめることになった。地域の人からも景観の変化を指摘する声があり、「生業として農業をすること」と「景観を守ること」が必ずしも一致しないという葛藤が生まれたという。
———このまちでは今まで、僕の実家も含めて米づくりをやってきたけれど、それが続けられなくなっているという現実があります。米づくりの規模感でできる、ちょうどいい作物が人参でした。ただ、僕自身も見慣れた風景が変わったなと思うし、それが正解だったのかどうかわからない。何もしなければ耕作放棄地になって荒れてしまい、より悪い風景になるという考え方もあります。「社会的」というところでは、自分のなかでも目まぐるしく考えていて、頭のなかでぐちゃっとなっているところです。
とはいえ、景観の美しさだけを求めて農業をするというのも本末転倒になってしまう。それに、初夏にはマルチで覆われる畑も、12月になれば人参葉がわしゃわしゃと伸びてくる。もしも人参畑が一面に広がるようになれば、冬の神山に新しい風景が広がるかもしれない。さらに言えば、遠い過去にはおそらく段畑のすべてが田んぼだったわけではなく、一枚ごとに異なる作物が育つような風景があったのかもしれない。「一面の棚田が広がる」ことだけが、美しい景観をつくるうえでの唯一の正解かどうかはわからない、と白桃さんは考えているのだ。
こうした景観の問題のほかに、フードハブで農業に取り組むなかで「農業の社会的な部分」として感じたことはあったのだろうか?
———うーん。それが「社会的」かどうかはわからないのですが、我々を頼ってくれる状況は生まれはじめています。「もうあと5年くらいで田んぼをできんようになるから頼むわな」と言ってくれる人もいます。その人たちにとって、我々の存在が安心できる材料になっているんだろうなとは思います。また、フードハブから独立したメンバーも「お前がおるからこの地域は大丈夫やろう」と言われるようになりました。地域がどうなっていくか、見えるかどうかは大事なことですし、ものごとが進んでいるという手応えはありますね。
今、フードハブの農業研修生は、農場付きの家を借りて地域との関係をつくりながら、農業を学んでいる。研修段階から、家を改修しながら農業をする姿が見えることで、「この地域で農業をして暮らしていこうとしている」ということが地域の人たちに伝わる。また、独立後もそのまま地域に溶け込みやすい。地域のなかに「あの子がおるからこの地域は大丈夫やな」という安心感が広がっているのだ。