6) 冊子制作を通して、これまでを知り、これからを考える
奥津爾さん2
奥津さんたちが小浜に移り住んで、もう3年近くになる。これまで、刈水庵を中心とした「刈水デザインマーケット」に参加したり、山﨑さんや古庄さんたちと農業とデザインを結ぶネットワークをつくったりと、少しずつ地元になじんできた。
———引っ越してきたばかりの人間が、いきなり土地のひとにつながってやるっておこがましいじゃないですか。東京のスピードではやれないな、と思って。
食と農家をつなごうと考えた「種市」は、2013年から吉祥寺だけで完結するイベントとしてやっていたんですけど、今回(2016年1月)初めて「種市大学」として、雲仙と吉祥寺をつないでやったんです。古庄くんや山﨑くん、若手農家と「雲と人」というグループをつくって、主催して。種を守り継ぐ農業活動を、モダンデザインからのアプローチで盛り上げたい、と思ったんです。2年半経って、いろんなひととのつながりができたなかでやらせてもらった総決算みたいなもんですね。
ひとつの種がその土地の風土に根づくのって、10年かかるんですよ。僕も10年だなって思っていて。僕は完全に I (アイ)ターンだけど、10年住んで子どもを育てて、こういう活動をしていたら、この土地に根ざした自分になっているかなって。近ごろやっと「このひとここに住んでいくんだね」という安心感とともに、つき合ってもらってる感じがありますね。
刈水庵のつながりにとどまらず、奥津さんは近ごろ、子どもを通して地域の同世代や若い世代ともかかわる機会が増えてきた。
———最初に来たときは移住者増やそうとか、ビジネスを展開しようとか思っていましたけど、今はもう小浜は何も目指さなくていいと思っています。移住者にしてもただ増やすんじゃなくて、小浜を愛するひとをひとり、ふたり増やすとか、地元のひとが誇りを持つきっかけをつくるほうが大事だと思っていて。
僕、今子どもの学校のPTA広報部長になって、PTA広報誌『はまゆう』の編集をしてるんです。お父さん、お母さんたちに向けて、1号めは「20年後の小浜へ」というコンセプトで、今の小学生が親の世代になるころ、どういう小浜になっているかを問う内容にしたんですね。
そこで、地元のお母さんやお父さんに、昔はバナナ園や映画館があったとか、船で買い物しにくるまちだった、というような話を聞いて、小浜のおすすめマップをつくったんです。知っているけど行ったことのない場所とか、お母さんたちが取材したり昔のエピソードを調べたりして、地図も描いてもらって。仕事でもないのに、それと同じかそれ以上の熱量でやっていたんです。
地元のお父さん、お母さんといっしょになって、彼らが作り手であり、読み手でもある雑誌をつくる。それはたぶん、奥津さんがまちに来てある程度時間が経ったからこそできたことであり、またこのまちのために何かしたい気持ちをかたちにすることでもあった。
ちなみに、デザインは古庄さんが担当している。地元に「返したい」と思い続けてきたから、ふたつ返事で引き受けた。バックナンバーを読み込み、地元のひとも受け入れやすい、いい意味でかっこよすぎない、温かみのあるデザインを試みた。「仕事でもボランティアでもなく、広報部の一員として参加しています」という古庄さんのことばに、静かな心意気を感じる。
———編集会議でみんな集まるんですけど、ほとんどが土地の昔話なんですよ。そういう話を、昔から小浜に住んでいるひとも I ターンのひともいっしょにする。地元のお父さん、お母さんっていろいろ話すし、土地のことを掘り起こせるので、すごくいいんですよ。
刈水庵の話も出てきて、お高い場所だと思ってみんな行かなかったんだけど、「全然行けるよ」と伝えることで、500円ぐらいで豊かな時間が過ごせることもわかったり。
東京や福岡からの移住者が地元のひとといっしょになって、まちのこれまでを知り、これからを考える雑誌をつくる。奥津さんや古庄さんは自分たちのスキルを使うことで、まちに「お返し」して、小浜に新しい循環が生まれる。一方、地元のひとたちも小浜をあらためて知り、まちの魅力を再確認できる。こうして住まうひとの愛着はいっそう深まり、まちは輝きを増してゆくのだろう。