2)地元の支援とともに、自分たちの手で続ける
明日香さんたちがはじめた工作教室やコンサートは10年続くものの、その後、飛生アートコミュニティーを利用するアーティストはそれぞれの活動で多忙になり、次第にこの場所から遠ざかっていった。主をほぼ失った状態となっていたアトリエを2002年から希根太さんら第2世代が利用し、再興させてきた経緯はこれまで紹介してきた通りだ。
白老町からの呼びかけではじまった飛生アートコミュニティーではあるが、35年経った今、「行政にこのアトリエを積極的に支援する余裕はない」と、希根太さんは語る。自然と集まるようになった仲間たちとこの場を楽しむ年に一度のアトリエ開放として、2009年から飛生芸術祭は開催されてきた。立ち上げのころはメンバーで開催資金集めにも奔走したという。
———2011年に森づくりとTOBIU CAMPもやることになり、資金が足りなくなって。町内の商店とかを飛び込みで訪ねて、協賛してもらいました。ほとんど断られるだろうと思っていたけど、8割くらいの方が1口だけでもと応援してくれてありがたかったです。若者が頑張っていると、思ってくれたのかもしれません。今年は白老の商工会の会長が「地域のためになっているから、向こう5年協賛する」と言ってくれました。地元から応援されるのは心強いです。そういった方々が毎年協賛してくれて、活動が成り立ってきました。
白老町には町長にも何回も支援をお願いしてきたんですけど、財政的に厳しくて……。この旧校舎も町の所有物だから、本来は補修とかは町がするはずなんですが、「もう町では負担できない」と。じゃあ、自分たちで直すかと、最近は自分たちでお金を工面して、屋根の塗装や壁の張り替えなどの補修をしています。行政の支援を待っていられない、というか……。
その代わり、活動について町が何か口を出すことはないです。距離がとれているとは思いますね。大きい芸術祭で行政が主導していると、市長が代わって「止める」と言ったら終わってしまうこともある。規模が小さくても、その土地でずっと続いていく村祭りのような芸術祭がいいと思っています。
飛生アートコミュニティーは今、アートの森づくりを通じて、アーティストの共同アトリエの範囲を超えた、協働を生むゆるやかなコミュニティとして育ってきている。結果として——かもしれないし、かかわってきた人びとの多大な努力の賜物でもあるが、行政に依存せず、自分たちの力で活動を長年続けてきたことが、コミュニティを再活性化させることにつながった側面もありそうだ。