5)社会に対する違和感をかたちにする
こうして、現在、保育園を2園運営する酒井さんだが、もともとは写真家として活動し、写真館を営んできた表現者でもある。一見、写真の仕事と結びつきにくい保育園をなぜはじめたのだろうか。
「もともと写真家として子どもや家族がともに過ごす時間や記憶に関心を持ち、写真館をひらいたのも公民館のような居場所をつくることが目的だった」と酒井さんは語る。2009年に写真館を立ち上げた際にも、カフェと同居し、ワークショップなどを行い、場をひらいてきた。
保育園をはじめることになったきっかけは、「5年前に第一子を出産したときの日々の出来事のなかにあった」と酒井さん。目の前に次々と立ちはだかる社会の壁。そこに抱いた違和感に突き動かされてきた。
———会社を経営していると、育児休暇が取得できず、休むと収入がなくなります。だから、出産8日目から出勤していました。さらに、保育園になかなか入ることができなかった。ようやく入れたところも、自転車で30分の距離。入園しても、わが子の成長記録であるはずの個人記録などは見せてもらえず(通常、見せるために書かれているものではないことも多い)、園に感謝しつつも、子育てしている実感より、子育てできない寂しさや子どもに対する申し訳ない気持ちが募っていきました。「預かってもらえるだけで満足」とは思えないのはなぜか、と自問する日々でした。
そのころ、保育園は株式会社でも企業主導型保育園として運営できると知り、自分がやらなければと考えました。私の親育ち、子育ちの過程に必要不可欠だったし、きっと他の誰かにも必要なのではないかと考えたんです。
実際、いふくまち保育園を立ち上げ、入園希望者を募集すると、園の前には同じように悩みを抱える親たちが列を成した。写真館の利用者にも、酒井さんが保育園を立ち上げると知り、入園を希望する人がいた。保育園運営は未知の世界だったが、入園希望者は無事定員を超えた。「写真館の時から培ってきた信頼関係があったのではないか」と酒井さんは振り返る。
酒井さんは、写真館でどのような場をつくってきたのだろうか。そして、これからどのような場をつくろうとしているのか。次号で詳しくご紹介したい。
いふくまち保育園
https://ifukumachi.jp
取材・文 / 末澤寧史(すえざわ・やすふみ)本の人
ノンフィクションライター・編集者。1981年、札幌生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。出版社勤務を経て2019年に独立。2021年に出版社の株式会社どく社を仲間と立ち上げ、代表取締役に就任。絵本作家・小林豊のもとで絵本づくりを学び、『海峡のまちのハリル』(三輪舎、小林豊/絵)を創作。共著に『わたしと「平成」』(フィルムアート社)ほか多数。本のカバーと表紙のデザインギャップを楽しむ「本のヌード展」主宰。
写真:衣笠名津美(きぬがさ・なつみ)
写真家。1989年生まれ。大阪市在住。 写真館に勤務後、独立。ドキュメントを中心にデザイン、美術、雑誌等の撮影を行う。
編集:村松美賀子(むらまつ・みかこ)
編集と執筆。出版社勤務の後、ロンドン滞在を経て2000年から京都在住。書籍や雑誌の編集・執筆を中心に、それらに関連した展示やイベント、文章表現や編集のワークショップ主宰など。編著に『標本の本-京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)や限定部数のアートブック『book ladder』など、著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など多数。2012年から2020年まで京都造形芸術大学専任教員。
編集:多田智美(ただ・ともみ)
編集者/株式会社MUESUM代表/株式会社どく社共同代表。1980年生まれ。龍谷大学文学部哲学科教育心理学専攻卒業後、彩都IMI大学院スクール修了。「出来事の創出からアーカイブまで」をテーマに、アートやデザイン、建築、福祉、地域にまつわるプロジェクトに携わり、紙やウェブの制作はもちろん、建築設計や企業理念構築、学びのプログラムづくりなど、多分野でのメディアづくりを手がける。共著に『小豆島にみる日本の未来のつくり方』(誠文堂新光社、2014)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社、2018)など。京都芸術大学非常勤講師。