最近はあまり話題にのぼらなくなったが、大学の「教員養成系・人文社会科学系」学科についての見直し論が文部科学省から出され、大学界隈では騒然とした雰囲気になったことがあった。2015年のことである。
この文科省の資料の中にも、「細分化」「蛸壺化」「現実的課題に対応できていない」「閉鎖的で社会的要請に十分応えていない」等の文言が散見される。
文部科学省高等教育局「新時代を見据えた国立大学改革」
「人文社会系学科は役に立たない」「文句ばかり言っている」というような言葉と、「学問というのは実用になればいいというものではない」といったような言葉が、ネット空間を飛び交っていた。この議論は表立ってなされることは少なくなったように思うが、今でも大学の廊下に澱のように漂い続けているように思う。前者のような言葉は、今も時折ポピュリスト政治家の口を突いて出たりしている。人文系攻撃は、今なお続いているのである。
人文学に厳しい視線が注がれていたその時期に、勃興してきた分野がある。「デザイン思考」を掲げた諸学科である。2013年に設置された本学の芸術教養学科もその一つである。その後富山大学や香川大学など、全国のさまざまな大学にそうした学科が創設されている。どういった学部でそうした教育研究が行われているのかは、大学によって違うようだが、これまでの工学知に関連づけられていることも多いようだ。
この「デザイン思考」の隆盛と人文学の苦境とが、関連づけて論じられているのを見ることはあまりない。あまりに違っているように見えるので、同じ土俵で比較するということにはなかなかならないのだろう。しかしこの二つを並べてみると、まるで「デザイン思考」が人文学を置換しようとしているかのようにも見えてくる。この二つを比べてみよう。
まず際立った対照を成しているのは、その「実用性」である。「デザイン思考」は常に「問題解決型」であると言われる。そしてそれを学ことは、仕事にも役に立つと強調されることが多い。一方人文学は、ほとんどつねに「役に立たない」と言われる。
この二つは、短期的な成功を求める世の中の趨勢を挟んで、対称的な位置にあるように見える。ではこれらは相互に対立するものなのか。私にはそうは思われないのである。
「デザイン思考」はさまざまな探究に適用できる方法的な知であって、それ自体は中身を持つものではない。具体的な課題が見出され、それについて探究が行われるとき、「デザイン思考」はこれまでの知見を総動員しつつ、創造的な解決をもたらそうとする。このデザイン思考は、一定の予算と資源のもとで最善のプロジェクトを企画する、といった場合に有効なのはもちろんだが、人々の生をいかによりよいものとするかといったことも主題化できる。というか、これが実は大事な任務なのではないかとも思う。この時、人間と世界との関わり、人間の世界への働きかけのあり方、といったことについての知見が求められることになる。そしてそうした情報を提供できるのは、人文学に他ならない。こうした場面では、人文学とデザイン思考の協働がありうるし、その場合人文学は「役に立つ」ものになるのだと思う。
話は変わるが、浄土の教えに、往相回向(おうそうえこう)と還相回向(げんそうえこう)という概念があるという。往相回向とは他の人にも善行功徳を及ぼして弥陀の浄土に往生すること、還相回向は弥陀の浄土からこのややこしい生死の世界に帰ってきて衆生を教化し共にに仏道に向かわせることというらしい。
これまでの大学的な学問は、この往相回向的なプロセスであるように思われる。高度な専門家の養成と学知そのものの追求と成就がまず目指される。人文学や基礎科学の場合、その成果は論文などを通じて世の中に返されてはゆくが、経済学や工学などと異なり人々への働きかけは限定的である。このあり方が、一般の生活者と関係ない、役に立たないものという印象に繋がっているのだろう。
一方、世の中をよりよく変えていくには、市民が見識を持つこと、思考することが求められる。しかしその方法についての学習機会は十分であるとはいえない。まちづくりにおいても住民参加が当たり前になり、政策の策定においてもパブリックコメントの手続きが一般的になってきた。自分の周囲の環境を読解し、芸術を味わい評価し、人々と語り合いながら思考できる市民もまた、高度な専門家と同様に求められる、これからの世の中の立役者なのである。これからの大学にはそうした人々が育まれる場としての役割も求められているのだと思う。
この時に必要になるのが、還相回向的な学問なのではないかと思う。高みから還ってきて今度は人々を高める学である。それは、これまでもいくらでもあった初心者的な入門書とかそういうのではなく、人間と世界について思考する技を共に磨く仕組みや場を持つものだろう。
その時の学びの枠組みは、先述したような人文学の学知と「デザイン思考」の方法論とが結合したものになるのではないか。人々が生きるための、「役に立つ」人文学の到来はそういう形をしているのではないかと思うのである。
本学の芸術教養学科のカリキュラムは、他校の「思考の工学」めいたデザイン思考教育とはやや趣のことなるものになっている。「デザイン思考」と「文化的伝統」との二つの軸を持っているのが大きな特徴となっている。これはそうした、還相回向的な学のあり方の一つの試みなのだと思うようになった。
このあり方には可能性があると思う。人文系の友人と話している(私自身は、理系、農学系なのである)と、その分野の閉塞的な現状についての不満を聞くこともある。だがこの還相回向の人文学の向かう先にはまだ未知の広がりがある。ぜひ仲間になって、この志に参加してほしいと思うのである。