(2019.05.5公開)
4月15日の夕方(日本時間では16日の未明)、パリの中心にあるノートルダム大聖堂で火災が発生した。この建物がゴシック様式であることを象徴する尖塔は無残にも崩落、身廊を覆う天井の大部分、堂内に設置された貴重な文化財も焼失もしくは大きな損傷を受けた。その原因は現在も特定されてはいないが、皮肉なことに改修工事中に発生した何らかの人為的ミスあるいはトラブルだと見なされている。ユネスコの世界遺産としても有名な聖堂が真っ赤な炎に包まれる衝撃的な映像は瞬時に世界中へと中継あるいは配信され、今も多くの人びとを驚かせると同時に悲しませている。
懸命の消火作業にもかかわらず、いっこうに衰える気配を見せない聖堂を覆う火の大きさをニュースで見た際、建物全体の倒壊を心配した。だが、やはり木造建築とは異なり石造りは強靭であった。ちなみに、建材に石を多用したパリのノートルダム大聖堂も、天井部分を構成する骨組みには大量の木材が使用されていた。その部分が今回燃えたのである。この悲報が日本に伝えられるや否や、我が国における歴史的建造物の防火対策の現状、その再検証の必要性が繰り返し報道されることになった。文化財指定された木造建築を多く抱え、1949年1月の法隆寺金堂壁画焼損、1950年7月の金閣寺火災(放火)と極めて重要な歴史的・芸術的な遺産を失った経験をもつ日本にとって、この度の出来事は決して対岸の火事ではないのだ。
件のノートルダム大聖堂の火災に話を戻そう。消火に伴って出されたマクロン大統領の声明によると、2024年のパリオリンピックを目指して修復作業を進めるらしい。だが、一部の専門家からは10年以上の期間を要するとの指摘もなされている。こうした中で興味深い動きがあった。焼け落ちた天井については幸運にも近年調査が行われていたために精密なデータが残されている。したがって、私は火災以前の状況へと忠実に復元することが当然の流れであると考えていたのだが、必ずしもそう決まっている訳ではないらしいのだ。忠実な復元以外、すなわち元の状態を一部変更するような案まで含めて、広く意見を聞いて今後の方針を決定するらしい。
実際には火災前の状態に可能な限り近づける方向で工事は進められると推察されるが、人類共通の遺産である歴史的建造物に修復時とは言えデザイン的・機能的な改変を加えることは、なかなか日本人からは出ない大胆な発想であり、率直に驚いた。例えば、日本では2016年の4月に発生した巨大地震によって深刻な被害を受けた熊本城の天守閣や石垣が修復されているが、被災前の状況に戻すことが原則であり、その資材や工法等についても可能な限り当時と同じものを使用することが求められているからである。文化財の保存修復は、先述した法隆寺金堂壁画焼失後に制定された法律(文化財保護法)によって規定されているからこそ、崩れた石垣を構成していた石の一つ一つには記号が付され、城内の芝生の上で保管された後に、これらの石は地震前の記録と照らし合わせられて元あった場所へと嵌め込まれるのである。
そこには、文化財にできうる限り物理的な介入を避けて、そのオリジナルな状態を保全し、さらには伝統的な原材料や制作技術などに関する知識を継承していくという二つの大きな意味がある。こうした修復姿勢が、美術館・博物館の中でガラスケース越しに鑑賞される作品において問題となることはあまりないだろう。しかし、人びとが実際の活動の場として使用する、まさにパリのノートルダム大聖堂のような建物の修復においては、より使いやすく、より安全であるための変更が認められることも十分にありえよう。ともあれ重要なのは、それぞれの歴史的建造物が置かれた状況の把握とそれらが担っている社会的・文化的な意味を踏まえた個別の議論が開かれた形で行われ、その方針が決定されることであろう。
*画像:修復を待つ石垣の石(熊本城/2016年11月/加藤撮影)