(2018.11.11公開)
ここ2ヶ月ばかり、鎌倉や京都で史料調査をする機会を得ている。
文献を紐解き研究することを生業にしている身として、史料調査は何よりも愉しい時間である。私が専門としている古代中世史の文献史料の数は、世界的にみても群を抜いている。社寺や家の重宝として大切に保管され今日まで遺されている御陰で歴史像を復元することが可能になる。
こうした史料の形態は様々で、帳や冊子の他、巻子や掛軸、屏風に貼られたものもあるが、そのままの「うぶ」な状態で遺されているものもある。
但し、軸装までは行かずとも、「裏打ち」が施されているものが多い。
「裏打ち」とは〔空を描く165〕「神は細部に宿る」でも説明したが、紙や絹に記された史料や絵画作品の裏側に紙や布を貼り補強する、日本で確立した技術である。
この技術によって、史料は補強され命を長らえていく。
ここ2ヶ月ほどで調査した史料原本は僅か600通ほどに過ぎないものの、実見していると、多く裏打ちが施されていた。この裏打ちや表装は、時代によって千差万別である。史料そのものの内容とともに、どのように整理・保存されていたかを調べることは、とても重要な作業だ。それは時代によって、どんな史料が重要視されていたかを知る手がかりとなるからである。
かくして、歴史学を研究していく上で、どのように史料が維持・保存されるのか、裏打ちや表装の技術を学んでおくことは、とても有益である。
おりしも学内で史料学に関わるテキストを執筆する機会を得ている。日々の校務に打ち紛れ、原稿は遅々として進まないものの、材料集めとして先日、日本橋浜町にある経新堂稲崎にお邪魔させて頂いた。裏打ちの技術を改めて拝見するためである。
ご担当頂いた経新堂稲崎の技師長である稲崎昌仁さんは、私が持参した牛玉宝印に、迅速かつ丁寧に裏打ちを施していく。卓越した技術を有する職人の仕事を覧ているのは、時間を忘れてしまうほど愉しい。総ての作業に無駄がなく美しいのだ。
職人の作業とは簡単なようにみえて、実際に行うと思うままにはならない。刷毛の使い方一つとっても、経験と知識とに裏打ちされたものなのだ。この裏打ちという、裏付けを意味する詞は表装技術・文化が如何に日本の生活の中で身近なものであったかを示している。
しかし、詞とは裏腹に本来の裏打ちがあまり知られなくなったことは残念であり、何よりもったいないと思う。
史料の内容についての分析はもとより、料紙や糊の研究も日進月歩である。
史料そのものが保存され継承されなければ、歴史学の研究は途絶えてしまう。裏打ちをはじめとする様々な技術に支えられてこそ、研究できるものだと、裏打ちの作業を拝見しながら改めて思った。