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生誕110年東山魁夷展を見て
― 加藤志織

生誕110年東山魁夷展を見て

(2018.10.21公開)

2018年は、20世紀後半の日本画をリードした東山魁夷の生誕110年目にあたるため、本年この画家の大規模な回顧展が京都国立近代美術館で開かれた。10月24日からは国立新美術館に会場を移して公開される。今回は先日終了した京都展の様子を紹介する。この特別展は盛況で、会場は連日多くの人々で混雑していた。画家の人気を知ることができよう。
魁夷の名を聞いて人々が思い出すのは、おそらく心象的な風景画ではなかろうか。とりわけエメラルドを想起させるような神秘的なグリーンの草木によって覆われた森や草原そして山々を描いた作品は、まさにこの日本画家の代表作として世間に知られている。実際に、そうした特徴を備えた名作の数々、たとえば《郷愁》(1948)、《道》(1950)、《青響》(1960)、《月篁》(1967)などが本展に出品されている。
人間が描き込まれず、叙情的な雰囲気で満たされたそれらの風景画は、非常に美しく我々をその虜にする。ともすると、色彩の魅力に目を奪われがちになるが、よく注意して観察するとより美術史学的に斬新な点が認められる。それは日本画の革新である。明治以降の画家たちが、それぞれの立場から取り組んだ西洋絵画の構図や空間構成あるいは写実表現の日本画への導入といった問題だ。
魁夷は東京美術学校で日本画を専攻するが、研究科を修了した1933年には渡欧しドイツへ留学。翌年の秋には美術史を学ぶためにベルリン大学の哲学科に入学している。事情によりこの留学は当初の計画よりも早く切り上げられることになるのだが、長い歴史のなかで展開してきた西洋絵画の様式上の変遷を現地で体験することができたことは大きな収穫であったはずである。
たとえば、千葉県君津市の鹿野山を写実的に描いた《残照》(1947)では、折り重なる山々が奥行きのある空間に構成され、さらに立体感についても微妙な色彩のグラデーションによって表現されている。紙本着色ではなく、油彩を用いて制作されていればまさしく西洋の風景画になったことだろう。このような西洋絵画から学んだと思われる点は、今回の回顧展に出品された複数の作品からも見て取ることが可能だ。
その一方で、西洋絵画の影響から脱した、むしろ日本画特有の平面的な表現やモチーフのデフォルメあるいは抽象化を強く意識した作例、たとえば《秋翳》(1958)、《木霊》(1958)、《桂林月夜》(1976)、《瑞光 試作》(1980)なども展示されている。魁夷が生涯を通じておこなった絵画上の冒険が多岐にわたるものであったことを示していると言えよう。
最後に、大作である唐招提寺御影堂の障壁画《山雲》(1975)・《濤声》(1975)・《黄山暁雲》(1980)・《揚州薫風》(1980)・《桂林月宵》(1980)が出品されていることもお伝えしておきたい。彼の画業の集大成とも言えるこれらの連作を間近で見ることができる貴重な機会である。

生誕110年東山魁夷展は国立新美術館で2018/10/24 — 12/3まで公開
*画像:京都国立近代美術館入口前(撮影 加藤志織)