(2017.11.05公開)
日本の芸能の「能」をはじめて見たのは大学生のときだった。畳敷きの見所の匂い、役者が身にまとう色鮮やかな装束、役者が舞台を踏む足拍子の響き、そして、大鼓の「カーン」という乾いた音が舞台空間に残す残響。それらが一体となって、見所の最前列に座る私に圧倒的な力で迫ってきて、私はその場でへなへなと崩れ落ちてしまいそうだった。その後、私は能の横笛を習い始めた。こうして、能との出会いが奥深い日本の芸能の世界への入り口になった。
能の笛の稽古は、師匠と向き合って正座し、師匠の唱える「唱歌(しょうが)」を真似てうたうところから始まった。能の笛の唱歌は、「オヒャーラーイホウホウヒ」や「ヒヒョールーリー」などのようなオノマトペで表されるが、そこに長さと高さの変化を与えて、音楽的な「ふし」としてうたっていくのである。唱歌は自分がそれまで見たことも聞いたこともない奇天烈な仮名であったので、唱歌を唱えていると、まるで怪しい呪文を口にしているような気持ちになった。一方で、唱歌とは何者で、なぜ楽器に触れることなく唱歌ばかりをうたうのか、それについての説明はない。こうして、理屈抜きに師匠と唱歌だけをうたい続けること一~二か月、唱歌を暗記してしまうまでになった。
ある日、師匠は初めて楽器を取り出して、「指使いを覚えましょう」と言った。指使いは、師匠と唱歌を唱えながら、師匠の指使いを見よう見まねで覚えていくのだという。例えば「オヒャーラーイホウホウヒ」という旋律では、「オヒャ」という唱歌で、右手の人差指・中指・左手の薬指、の三本を同時に動かす。指の動きは非常に複雑であるが、それにも関わらず、唱歌を唱える声と連動して瞬く間に吸収され、身体に記憶されていった。
そして、とうとう、師匠は「楽器を持って音を出してみましょう」と言ったのだった。まずは音の出し方を確認するために、笛の吹口に唇をあて、フーっと息を吹き込んでみる。すると、まろやかな温かみのある音が竹管を通り抜けていった。さらに強く息を吹き込んでみると、今度は、竹を通り抜ける自分の息遣いが楽器を持つ両の手にブルブルと伝わってきた。さらに、続けて、習得した指使いを用いて楽器を奏してみることになった。もちろん、師匠の唱える唱歌の声と一緒に。
そのとき、自分の吹く旋律の音色と師匠の唱える唱歌の声とが一つになって、空間に響いた。楽器を奏しながらも、暗記した唱歌を師匠の唱える声色そっくりに自分の心の中で唱えていく。こうして音色の変化や、間合いの取り方や、旋律の抑揚などが、これまで師匠と唱えてきた唱歌の声を介して再現されていった。唱歌を唱える師匠の呼吸は自分の身体に刷り込まれていて、楽器から奏でられる音楽は自分自身(と師匠の)唱える声そのものであるかのように感じられた。まさに、唱歌とは、楽器の旋律を声を使ってそっくり模したオノマトペであり、声を介して唱えられることで文字通り「唱え歌」となって、音楽を生み出していく性質のものなのだ。
日本の伝統的な楽器はそれぞれに固有の唱歌を持ち、伝承されてきた。楽器によって使う唱歌が異なるので、能の楽器でも、例えば太鼓では「テレツクテレツク・・」などのように笛とは別の体系に基づく唱歌を用いる。こうして楽器ごとにデザインされた様々な種類の唱歌を用いて豊かな演奏を育んできた日本の芸能は、唱歌を唱える声をたよりに再現されてきた。従って、日本の芸能は、声の文化を基盤に持つと言えるだろう。
ところで、声の文化は、芸能だけでなく文芸などの他の世界にも影響を与えている。そのことは、またいつか書いてみたいと思う。