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アネモメトリ -風の手帖-

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#186

瓜生山と将軍地蔵
― 石神裕之

勝軍地蔵参道道標

(2016.10.23公開)

「勝軍地蔵尊参道」。

写真の道標は、大学近くの北白川幼稚園へと向かう坂道の麓に立っている。石柱左側には「瓜生山親睦会」、右側には「昭和十五年八月」の文字が刻まれる。

本学瓜生山キャンパスには何千人という通学部、通信教育部の学生が通っている。

さる10月9日(日)には、「学校法人瓜生山学園 第1回 ホームカミングデー」が行われ、京都芸術短大時代を筆頭に、通学部、通信教育部あわせて300名を超える卒業生が集まった。

キャンパスに集う多くの人々が愛着を持つ瓜生山。しかしそのうちの何人が、この土地の歴史について知っているのだろうか。

先の道標に記された「勝軍地蔵」。これこそが瓜生山という土地の歴史を知る鍵となる。

そもそもなぜ、この地は瓜生山と呼ばれたのだろうか。

黒川道祐の著した『雍州府志』(貞享三[1686]年刊)には、

「相伝フ、牛頭天皇播磨ノ国広峰より、始テ此ノ山ニ現スト、故ニオモエラク木瓜ハ天王之好ム所ナリト也」

とあり、一乗寺に現在も存在する八大神社の主祭神である、「牛頭天王(祇園社の祭神でもある)」がこの山(瓜生山)に降り立ったという故事から、牛頭天王の好きな木瓜の生える山という意味で、瓜生山と呼ぶようになったということのようである。

また『新勅撰和歌集』(文暦2[1235]年完成)には

瓜生山をこえ侍るとて

行く人をとどめかねてぞ瓜生山峰たちならし鹿も鳴くらむ

という、謙徳公(藤原伊尹)の歌が載せられている。少なくとも鎌倉時代初めには、歌枕にもなるほど知られた山であったのは間違いないようである。

最近、本学瓜生山キャンパスに猿の母子が現れたらしいが、歌にあるように瓜生山でもいつか鹿に出会えるであろうか。

さて瓜生山は別名、勝軍地蔵山とも呼ばれていた。標高301mの山頂には、今も現存する石窟が設けられ、そこに甲冑をつけ、右手に剣、左手に軍旗を持ち騎乗する「勝軍地蔵」の石像が安置されていたという。聖護院門主が大峯入りをする前には、ここで護摩供を修したとも伝えられている。

照高院二品忠誉法親王(1722-1788)が書いたとされる、宝暦12(1762)年銘の「勝軍地蔵縁起」によれば、南北朝時代の延文6(1361)年には地蔵尊が安置されたという。

同時代史料としては、権中納言・鷲尾隆康(1485~1533)の日記である『二水記』に、永正18(1521)年9月、隆康がこの勝軍地蔵を訪れた記事がみえる。

そして大永7(1527)年、ときの幕府管領・細川高国(1484~1531)によって、ここ瓜生山に城が築かれた(勝軍山城・北白川城)。

その後天文16(1547)年には、13代将軍足利義輝父子が細川晴元を討つため、高国の跡目を称する氏綱の籠る「北白川城」に入ったが、同年7月12日には相国寺に陣どる晴元軍に攻められ、落城炎上したとの記録が残る。

現在でも山中には曲輪や虎口の痕跡が残るとも言われるが、考古学的な調査が行われていないため、正確なところは不明である。一度筆者も踏査してみたいと考えている。

さて戦国期には脚光を浴びたこの瓜生山も、平和な江戸時代には訪れる人もいなくなった。ついに勝軍地蔵は宝暦年間(1751~64)に、山麓の丸山の地(現在北白川幼稚園付近)へと移され、この一帯が瓜生山と呼ばれるようになる。

その地蔵堂への参道を示すのが、冒頭で示した道標なのである。しかし、現在では地蔵尊は別の場所にさらに移転してしまった。

実は、それが本学横にある禅法寺の境内であるという。北白川幼稚園のホームページに所載される園長の日記に、その経緯がいくつか記されている。もともと地蔵堂の土地の所有者が禅法寺であり、その土地を幼稚園に提供するのに際して、移転したのだという。

この勝軍地蔵については、戦後、北白川小学校の児童たちが地元のことを調べて書き上げた、京都市立北白川小学校編『北白川こども歳時記』(山口書店、1959年)にも記載がある。

「勝軍地蔵さん」の稿には、足利尊氏が楠木正成と北白川付近で戦ったおり、劣勢の尊氏がこの地蔵尊の陰に隠れたところ、地蔵尊の目が眩く光り、尊氏を救ったという伝説や、戦争になると参詣者が増えるが、アメリカに負けてすっかり寂れてしまったことなど、地元ならではの逸話が記されている。

冒頭写真の道標の造立年が昭和15(1940)年というのも、決して偶然ではなく、戦争という時代を反映した石造物といえよう。

現在、勝軍地蔵尊は厨子に入れられて非公開であるという。このまま静かに御堂で過ごされることが、平和な時代であることの証であるかもしれない。

小さな道標が伝える瓜生山の歴史。

歴史を知る手がかりは身近にあることに、改めて気づかされるのである。