(2016.10.09公開)
夏、イタリア北部のガルダ湖にほど近い小さな都市、ロヴェレートにある近現代美術館へ調査に行ってきた。この美術館は、20世紀イタリア美術に関する貴重なコレクションとアーカイヴ施設を有している。連日の文献調査に疲れ、久々に常設コレクションを楽しもうと一周していたら、一枚の絵画に「再会」してしばし立ち止まった。画家カルロ・カッラ(1881-1966)が描いた《ロトの娘たち》(1919)という作品である。
この作品を描いた画家カルロ・カッラをご存知の方は少ないだろう。カッラは、20世紀初頭の前衛芸術運動「未来派」に参加し、その後ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)とともに形而上絵画の創設に関わった。残念ながら、日本ではデ・キリコの陰に隠れてほとんど知られていないが、私は学部生のときに書いた初めての論文のテーマがこの画家だったので、ついつい懐かしさに足を止めたのである。
カッラは、画家として出発した初期には未来派の綱領に忠実に、運動のダイナミズムを画中に捉えることに腐心していた(図2)。だが、1916年頃から急に「色調や線の関係が持つ単純明快さ」のなかにこそ「近代性」が現れると述べ、その模範を、ジョットら初期ルネサンスの絵画のなかに見出すようになる。《ロトの娘たち》は、カッラのそうした「古典回帰」を象徴する作品として名高い。画面には、演劇の書き割りのような風景を背に、二人の人物と一匹の犬が配されている。擬古典風の人体や顔立ち、衣装、それにフレスコ画のような淡い色彩には、当時カッラが心酔していた、ジョットやピエロ・デッラ・フランチェスカといった初期ルネサンスの画家たちとの明らかな繋がりを見て取ることができる。
だが、私はずっと、この作品がどうにも理解できずにいた。もちろんそれが、単純で明快なフォルムを通じて、イタリア絵画の伝統と近代性とを一致させようという画家の試行錯誤の成果であることは疑いない。問題は、この作品の主題である。そもそも、「ロトの娘たち」とは、旧約聖書の創世記に登場する人物だ。聖書の記述によれば、アブラハムの甥であったロトは、都市ソドムとゴモラが神の怒りに触れて滅亡を強いられた際に、天使の忠告にしたがって家族とともにソドムを脱し、山中へ逃れた。しかし、脱出の途中、警告を破って後ろを振り向いた妻を失ってしまう。子孫が絶えることを憂慮したロトの娘たちは、山中で父親を酒に酔わせ、実の父と交わることで子どもをもうける。
西洋絵画の伝統では、この主題はむしろ、酩酊した父と淫らな姿の若い娘たちによる、エロティックな場面として描かれてきた(図3)。ところがどうだろう。カッラの《ロトの娘たち》には、そうした雰囲気は微塵もない。カッラの作品では、父であるロトは登場せず、二人の娘たちの関係性が主題化されている。画面向かって右の女性は跪いて手を差し伸べ、戸口で佇むもう一人は、それに一瞬驚いたかのような仕草で左手を少し持ち上げ、右手をちょうど自身の腹の前にかざすようにして——恐らく彼女は身籠っているのだろう——動きを止めている。その様子は、興味深いことに、ロトと娘たちのエピソードよりも、むしろ「受胎告知」の場面を連想させる。
しかし、だとすれば、それは奇妙なことではあるまいか。父との近親相姦によって子を宿す娘が、まるで聖霊によって神の子を身籠る聖母マリアのように描かれているとは。なぜカッラはこの主題を選択し、このような構図によって描いたのだろうか。その理由を、画家自身は明言していない。私はこの問題を、いまだに考えあぐねているのだが、最近ある研究者の解釈を読んで、少しわかりかけたことがあった。その解釈によれば、この作品は、戦争による死と破壊という状況を背景にして、苦難の末に罪を負いながら再生する生命を暗示している、というのである。
カッラが《ロトの娘たち》を描いた1919年は、第一次世界大戦の直後の年であった。人類の歴史上初めてのこの総力戦が、どれだけ大きな被害と苦悩をヨーロッパの人々に与えたかは、ここであえて繰り返すまでもないだろう。そしてそれは、イタリアの若い画家たちにとっても同様であった。事実、《ロトの娘たち》の写真複製が初めて掲載された雑誌『ヴァローリ・プラスティチ』の1919年11-12月号に、カッラは「イタリア絵画の復興」と題された文章を寄せ、それを次のような一文で書き起こしている。「途方もない変化と、不均衡な状況の増大によって、国家の活動を自由に発展させるために必要な均衡のとれた諸要素は、ここ5年のあいだに、解体へと導かれていった。イタリア人と、その他のヨーロッパ人が現在抱えている心理的衰弱を決定づけた複雑な原因を探し出すことは難しい…」。ここ5年とは、もちろん、第一次世界大戦の開戦から現在に至るまでの期間を指している。そのあいだに巻き起こった暴力と狂乱が、けっして持続するものではないと信じようとしながら、カッラはその文章のなかで「運命を受け入れよう」と繰り返す。——「…祝福された心で、われわれの運命を受け入れよう。こんな不幸な時代に、芸術をなすという運命を。」
一族の存亡をかけて、父と関係を持つことによって、新しい生命を生み出そうとする「ロトの娘たち」。画面に父親のロトではなく、娘たちのみを配することで、カッラは彼女たちの静かな決意に光を当てている。ここで受胎告知の図像は、艱難を耐え、運命を祝福し、受け入れようとする娘たちの覚悟を、身振りによって示すために利用されているようにも思える。ちょうどマリアが、大天使ガブリエルの言葉に「主のはしため」として恭順に応じたように。そしてそれは恐らく、カッラ自身の絵画に対する意志とも重なるものであっただろう。伝統の蓑を借りた、いまだぎこちなく固いフォルムのうちに、カッラは、来たるべきイタリア絵画という名の新しい生命を宿そうとしていたのかもしれない。
引用文は以下から訳出した:
Carrà, Carlo “Il rinnovamento della pittura in Italia,” Valori Plastici, novembre-dicembre, 1919; repr. in Valori Plastici: Rivista d’arte, Roma, 1919-1921, Milano: Mazzotta, 1969.
図版キャプション:
図1
カルロ・カッラ《ロトの娘たち》1919年、カンヴァスに油彩、110×80cm、トレント・ロヴェレート近現代美術館、ロヴェレート
図2
カルロ・カッラ《無政府主義者ガッリの葬儀》1910-1911年、カンヴァスに油彩、185×260cm、ニューヨーク近代美術館
図3
アルブレヒト・アルトドルファー《ロトと娘たち》1537年、板に油彩、107.5×189cm、ウィーン美術史美術館
図版出典:
図1 トレント・ロヴェレート近現代美術館公式サイト
図2 ニューヨーク近代美術館公式サイト
図3 ウィーン美術史美術館公式サイト