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#183

メアリー・カサット展を見て
― 加藤志織

メアリー・カサット展を見て

(2016.10.02公開)

今、日本では35年ぶりとなるメアリー・カサットの大規模な回顧展が開かれている。テレビや雑誌等で大々的に取り上げられているため、ご存知の方も多いだろう。そのメアリー・カサット展が横浜から京都に巡回してきたので、さっそく会場である京都国立近代美術館を訪ねた。
メアリー・カサット(Mary Cassatt、1844〜1926年)はアメリカ出身の女流画家・版画家で、若くしてパリに渡り、フランスで活躍する。彼女は印象派の一員として、当時は珍しかった女性画家として、そして印象派絵画をアメリカに紹介した人物として知られている。その他、浮世絵から影響を受けた画家であることも忘れてはいけない。
このように近代に活躍した重要な芸術家の一人ではあるが、19世紀後半から20世紀前半にかけてキラ星のごとき天才たちが多数現れたために、カサットの仕事は目立ちづらい。われわれの目は、どうしても近現代絵画の歴史を紡いだマネやモネあるいはセザンヌといった巨匠に向かってしまう。私も若い頃には彼女の作品に特別な関心はなかった。
この認識が変わったのは、フェミニズムを取り入れた美術批評や美術史の論文を読むようになってからである。そうした分析の対象となった作品に、本展で展示されている《桟敷席にて》(1878年、ボストン美術館)がある。これまでは一方的に男性の視線にさらされてきた女性が、劇場でオペラグラスを手に取り逆に視線を向ける者として描かれている点が本作品の新しさだ。さらに、舞台そっちのけでこの婦人をオペラグラスで凝視する男性を描くことによって、見る者と見られる者との複雑な関係が演出されている点も卓抜である。
女性に注目した作品が制作されたのには、この画家自身が女性であったことが大きく関係している。当時は現代よりも、性差によるさまざまな制約が社会にあったために、女性は絵の題材を自由に選択できなかった。そもそも職業画家とは男の仕事とされていた。そのために、カサットは身近な生活から題材を見つけて描くことになる。母子像が多いのはそのためだ。
今回、そのなかでも傑作とされる2作品、《眠たい子どもを沐浴させる母親》(1880年、ロサンゼルス群立美術館)と《母の愛撫》(1896年、フィラデルフィア美術館)が出品されている。そこには、われわれが日常目にする母子の仲むつまじい姿、何気ない幸せな瞬間が表されている。《母の愛撫》に見られるような、抱かれた幼子が相手の顔を手でさわり確認する様子を、実際に経験した人は少なくないだろう。私もかつて甥たちに同じことをされた。この作品の前に立つとそれが思い出される。
美しい筆致と色彩によって表現されたこれらの絵を眺め、心地よい幸福感に包まれる時、なぜキリスト教美術であれほど聖母子像が好まれ、同主題のおびただしい数の作品が制作されたのか、その理由が自然に理解できるだろう。カサットの母子像は世俗画、聖母子像は宗教画であるが、そこに共通して存在するのは母と子の普遍的な愛である。
メアリー・カサット展は京都国立近代美術館で12月4日まで。

*写真:京都国立近代美術館正面前