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アネモメトリ -風の手帖-

空を描く 週変わりコラム、リレーコラム

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#392

「これぞ、時間のデザイン」
― 岩元宏輔

202512図1

2025年を振り返ると、今年もありがたいことに仕事を通じてこれまで足を運んだことのない場所や、出会ったことのない人たちと多く巡り会う一年だったと感じている。教材制作や、ワークショップ、インタビューや打ち合わせといった仕事の延長線上でありながら、その一つひとつが、自分の思考や感覚の輪郭を、少しずつ更新してくれた。

中でも、特に印象に残っているのが、秋田県仙北市、田沢湖で過ごした数日間だ。恥ずかしながら、「田沢湖駅」という新幹線の駅があることを今回初めて知った。地名としては知っていても、これまでの自分の生活圏とは接点のなかった場所。今回の仕事が、この場所と自分をつないでくれた。

東京から物理的にも大きく離れたその土地で、丸三日間、教材制作のための撮影に集中した。到着して間もなく、今回の仕事相手の方が迎えに来てくださり、そのまま撮影場所へ向かう。観光の予定もなければ、撮影後はホテルに直行。終始、撮影と確認、そして丁寧な打ち合わせを繰り返す。とても充実した時間であった。

本学での教材制作に携わる中で、実感したことでもあるが、撮影のセッティングには想像以上に時間がかかる。カメラの位置や構図、照明の角度や強さ。わずかな違いが画面の印象を大きく左右するため、微調整を何度も重ねていく必要がある。ほとんど室内での撮影だったが、日が傾き始めると、外光の変化に合わせて照明の度合いも調整し直さなければならない。こうした制作陣のこだわりがとても心地よい。

撮影の合間に、ふと待ちの時間が生まれる。照明の調整を待つあいだ、機材の切り替えを待つあいだ。その時間は、次の段取りを詰めるためのものというよりも、自然と呼吸が深くなるような、静かな「間」として立ち現れていた。

その「何もしていないように見える時間」が、田沢湖という場所の時間の進み方と、不思議なほどに重なっていた。急かされることもなく、かといって手を抜くわけでもなく、ただその場に身を置きながら、次に進む準備が整うのを待つ。撮影のための時間でありながら、同時に、自分の感覚を整えるための時間でもあったように思う。

今の時代、私たちは常にどこかとつながっている。移動中も、滞在先でも、スマートフォンを開けば、仕事の連絡やさまざまな情報が同時に進行している。便利さの裏側で、時間は細切れになり、意識はあちこちに引き裂かれがちだ。どこにいても「いつもの時間」に引き戻される感覚がある。

田沢湖での撮影期間は、そうした常時接続の感覚から、少し距離が取れた時間だった。実際に電波が届かないわけではない。だが、朝一番の穏やかな湖の様子や、日が落ちる前から静かに冷え込んでいく空気、室内で薪をくべてもらいながら過ごす夕方の時間が、自然と一日のリズムを変えていった。

連絡ごとやリアクションに追われる感覚は必然と薄れていき、目の前にいる人との会話や、今この場で行っている撮影そのものに、終始集中することができた。何かを急いで処理するというよりも、その都度立ち止まりながら、次の一手を確かめて進んでいく。そうした積み重ねの中で、時間は静かに、しかし確かな密度をもって流れていた。

中日の夜におこなわれたジャムセッションも、その時間の質をよく表していた。近所の仲間が自然と集まり、談笑の延長線上で音を出し始める。完成形を目指すでも、演奏会でもない。各々が奏でた音が心地よく交わり、即興のままに変化していく。その場に身を置いているだけで、心身がゆっくりとほどけていくのを感じた。

今回の滞在は、芸術教養学科で扱っている「時間のデザイン」という考え方が、あらためて具体的な手触りを伴って立ち上がってきた機会でもあった。時間は単に管理する対象ではなく、環境や関係性、行為の積み重ねによって編み直されていくものとも言える。そのデザインのあり方が、創作だけでなく、学びの質そのものに深く関わっていることを、実体験として再確認することができた。これは本当に大きな収穫である。

この田沢湖で過ごした三日間は、教材制作のための時間であると同時に、自分自身の時間感覚を整え直す時間でもあった。何かを強く教え込まれたわけではない。それでも確かに、戻ってきた自分は、以前とは少し違う時間の捉え方をしている。こうした変化は、あとから静かに効いてくる。だから今、明日の自分が少し楽しみになっている。