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アネモメトリ -風の手帖-

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#381

めくるめく物語の世界
― 宮 信明

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昨年、2024年の芸術文化のなかにあって、最大のトピックのひとつは、やはりガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』の文庫化だろう。「文庫化したら世界が滅びる」という風説が、まことしやかにささやかれていた作品の文庫化は、「そんなに!」と驚くほど大きな話題となった。なぜ1冊の書物を文庫化しただけで世界が滅びてしまうのか、まったく意味が分からない。けれども、実際、販売4ヶ月で36万部を売り上げるという、まさに「大事件」となった。
それにしても、この『百年の孤独』が、日本ではじめて翻訳されたのは1972年のこと。つまり、50年以上もまえの話だ。しかも、新装版、改訳版、さらにその新装版と、装いを変えつつも、絶版になることなく出版され続けてきたのである。こんなことを言うと叱られるかも知れないが、(素朴な疑問として)なぜこれほど多くの人が、こんなにも魅力的な作品をいままで読んでこなかったのだろうか?
ちなみに、『百年の孤独』はこんな物語である。

蜃気楼の村マコンドを開墾しながら、愛なき世界を生きる孤独な一族、その百年の物語。錬金術に魅了される家長。いとこでもある妻とその子供たち。そしてどこからか到来する文明の印……。目も眩むような不思議な出来事が延々と続くが、予言者が羊皮紙に書き残した謎が解読された時、一族の波乱に満ちた歴史は劇的な最後を迎えるのだった。世界的ベストセラーとなった20世紀文学屈指の傑作(新潮社のホームページより、https://www.shinchosha.co.jp/book/205212/)。

未読の人には、いまからでもいいので、ぜひこの「20世紀文学屈指の傑作」を読んでみてほしい。と同時に、『百年の孤独』だけで終わってほしくない。これをきっかけに、さらに読書の世界を広げていってもらいたい。

まず、文庫化されているガルシア=マルケスの作品、『族長の秋』『エレンディラ』『予告された殺人の記録』『ガルシア=マルケス中短篇傑作選』なんていかがだろうか?
ガルシア=マルケス以外のラテンアメリカ文学にも興味があるという人には、〈ブーム〉の作家たちを紹介しよう。なかでもガルシア=マルケスと双璧をなすのが、マリオ・バルガス・リョサだ。そして、その代表作が『緑の家』だろう。個人的には、『百年の孤独』より好きかも知れない。ほかにも『街と犬たち』『フリアとシナリオライター』『密林の語り部』など、物語の醍醐味を存分に味わわせてくれる。
また、ガルシア=マルケスとリョサには、『物語の作り方 ガルシア=マルケスのシナリオ教室』『若い小説家に宛てた手紙』という物語の作り方、小説の書き方についての著作がある。これらは文庫化されていないが、2人の偉大な作家の創作の秘密を知ることができるファン垂涎の1冊(いや2冊か)。特に、物語や小説を書きたいと思っている人には、ぜひオススメしたい。
そのほかの〈ブーム〉の作家としては、カルロス・フエンテスの『老いぼれグリンゴ』や『アルテミオ・クルスの死』、フリオ・コルタサルの『悪魔の涎・追い求める男』や『石蹴り遊び』など。ホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』は文庫化されていないものの、まさに想像力の奔流、だまされたと思って読んでみて!

次に、〈ブーム〉以前の作家を知りたいという人には、パブロ・ネルーダやアルフォンソ・レイエス、オクタビオ・パスなどがいるが、ここは、やはりホルヘ・ルイス・ボルヘスを挙げないわけにはいかない。いまのラテンアメリカ文学のイメージを作り上げた作家といっても過言ではないだろう。『伝奇集』『ブロディーの報告書』『砂の本』『幻獣辞典』など、多くの作品が文庫化されている。なかでも、最近になって翻訳・文庫化されたのが、ボルヘス最後の短篇集『シェイクスピアの記憶』。巨匠の遺言とでもいうべき珠玉の作品集だ。

最後に、〈ブーム〉以後の作家についても3人だけ紹介しておこう。一人目は、イサベル・アジェンデ。叔父のチリ大統領サルバドール・アジェンデが軍事クーデターで暗殺されたときに、亡命先のベネズエラで執筆したのが『精霊たちの家』。リーダビリティの高い作品なので、非常に読みやすい。『百年の孤独』や『緑の家』を途中で挫折してしまった人は、このあたりからラテンアメリカ文学の世界に分け入ってみるのも、よいのではないだろうか。二人目は、レイナルド・アレナス。自伝『夜になるまえに』が、ハビエル・バルデム主演で映画化(2000年)されたこともあって、なんとなくこのタイトルに聞き覚えがある人もいるだろう。ただ、『夜になるまえに』も、『夜明け前のセレスティーノ』や『めくるめく世界』も文庫化されていないのが残念なところ。三人目は、ロベルト・ボラーニョ。『野生の探偵たち』や『2666』は掛け値なしの傑作。だが、ボラーニョの作品も文庫化されていない(『百年の孤独』の流れに乗って文庫化してくれないかなあ)……。

さて、わざわざ断るまでもないが、世界には、さまざまな文学が溢れている。行ったこともない国や場所で、名前さえ知らない作家が、素晴らしい作品を書いている。韓江(ハン・ガン)のノーベル文学賞受賞で、韓国文学に興味を持った人も多いだろう。ぜひその関心や好奇心を大切にして、自分の知らない世界へと踏み入ってもらいたい。めくるめく物語の世界は、あなたの眼前にせまっているのだから。