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アネモメトリ -風の手帖-

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#375

あなたのお名前なんてえの
― 宮 信明

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さあ、いきなりクイズ。まずは第1問。
問題(ジャジャン)、夏目漱石の本名は? 次の中から正しいものを選びなさい。

A.夏目金之助
B.夏目銀之助
C.夏目銅之助

漱石の本名をどれくらいの人が正確に認識しているのかは知らないが、どうだろう、自信を持って「これだ!」と答えることができる人は、それほど多くないような気がする。いや、それは私のいやしい思い込みのせいだろうか(もしそうならごめんなさい)。

ともかくも、クイズを解いてみよう。「C」の「銅之助」は、なんだか赤胴鈴之助をぎゅーっと圧縮したような名前。さすがに「銅之助という名前の人は少ないだろう」という理由で、候補から除外することができるかも知れない。
そうなると、残りは「A」の「金之助」と「B」の「銀之助」の二択だ。これはむつかしい。両方ともよくある名前で、「金之助」といえば、新聞記者・ジャーナリストで、『東海新聞』の社長を務めた榊原金之助(1909-1983)、数学者・科学史家で、『数学教育の根本問題』などの著作で知られる小倉金之助(1885-1962)、はたまた焼き芋や芋けんぴといったさつまいもスイーツがおいしい芋・金之助などなど、枚挙に暇がない。また、漢字はちがうが、歌舞伎役者・映画俳優で、大川橋蔵、市川雷蔵、東千代之介とともに「二スケ二ゾウ」と呼ばれた映画スター萬屋錦之介(1932-1997)も「きんのすけ」である。ちなみに、錦ちゃんの本名は、小川錦一。
では、「銀之助」はどうだろうか。漱石に関するクイズなのだから、誰よりもまず豊島銀之助を挙げるべきだろう。ここでちょっと脱線して、「豊島銀之助とは、誰でしょうか?」という問題を2問目として出題してもよいが、これはいくらなんでもむつかしすぎる。「それはね、漱石が『三四郎』(1908年)の中で絶賛した三代目柳家小さん(1857-1930)の本名ですよ」とすぐに答えが出てくる人は、よっぽどの落語好き。せっかくなので、脱線ついでに、漱石のことばを引いておこう。

小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものぢやない。何時でも聞けると思ふから安つぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じうして生きてゐる我々は大変な仕合せである。

漱石が愛した三代目小さんのほかにも、実業家で、日本にラグビーを伝えたことから「日本ラグビーフットボールの父」とも称される田中銀之助(1873-1935)、また同姓同名の作曲家で、「神戸音楽界の父」(父ばっかりだ)として慕われる田中銀之助(1880-1947)、プロ野球選手で、発足したばかりの広島東洋カープでプレー、指導者としても非凡な才能を発揮した鈴木銀之助(1912-1959)などなど、銀之助も多い。そういえば、『クレヨンしんちゃん』の主人公・野原しんのすけの父・野原ひろしの父(また父ばっかりだ)、つまり、しんちゃんの父方の祖父は、野原銀の介。漢字はちがうが、やはりこちらも「ぎんのすけ」である。

それにしても、金之助と銀之助をむやみやたらに列挙するばかりで、ひとつも答えに近づいていない。もうこうなったら、あとはカンに頼るしかない。金か銀か、のるかそるか、勝負!といったところだろうか。しかし、この短い文章でやりたかったことは、じつは正解を導き出すことではない。いかにして答えを出さずに、のらりくらりと思索に耽ることができるのか、いや、そんなに大したものでもなく、ただ浮かんでは消えていく思考の切れはしを、あれやこれやと思いつくままに書き連ねてみたかったのである。
答えを出そうと思えば、それこそ一瞬だろう。手元にあるスマホで「夏目漱石」と検索すれば、たちどころに、「漱石の本名は夏目金之助である」と教えてくれる。けれども、それではまったく面白味がない。行ったり来たり、寄り道をしつつ、のんべんだらりと遊んでいたかったのである(読者がそれを面白がってくれるかどうかは、また別の話だが)。

もともと、この文章を書き始めたときには、作家の本名と作家名、そして芸人の本名と芸名について、漱石=金之助を出発点として、たとえば、桂宮治の本名は宮利之で、私と苗字がいっしょだ、なんて愚にもつかないことをダラダラと述べるつもりでいたのだが、いつのまにかこんなことになってしまった。別に悪気があって、そうしたわけではないのだが、とはいえ、自分の中では、最初から書きたいテーマ、というほど明確なものではないが、ひとつの方向性は確実に定まっていたようだ。それは、学問や勉学とは、結局のところ、ああでもないこうでもないと、思考を巡らすことにほかならないということである。夏目漱石の本名から、赤胴鈴之助や萬屋錦之介を経て、野原銀の介へと漂着する。その彷徨はあきれるほどに楽しい。ことばに尽くせない。それが学問や勉学の醍醐味ではないだろうか。

それでは、続いて第2問。
問題(ジャジャン)、漱石の本名「金之助」の由来は? 次の中から正しいものを選びなさい。

A.お金持ちになるようにとの願いが込められている。
B.泥棒にならないようにとの願いが込められている。
C.元気に育つようにとの願いが込められている。

さあ、みなさん、正解はひとまずわきにおいて、色々と考えてみよう。

〜おことわり〜
第2問の解答は公開しません。ただ、そのお詫びといってはなんですが、この短文のタイトル「あなたのお名前なんてえの」などのフレーズで一世を風靡したトニー谷の本名を記しておきます。トニー谷の本名は、大谷正太郎です。なお、赤塚不二夫のマンガ『おそ松くん』に登場する「イヤミ」は、このトニー谷をモデルにしたと言われています。ここからも、みなさんの思考が縦横無尽に広がっていきそうですね。