(2016.06.12公開)
人間が生きる環境は、2つのものでできている。一つは自然が生み出したもの、もう一つは人間がつくったものだ。この二つの大きな違いは、人間の「意図」が作用しているかということ。「意図」とは、自分の、他人の、社会の、なんらかの役に立つことを前提とする。この「意図」されたモノあるいはコトを創り出す行為がデザインである。さらに、デザインとは、人間とモノやコトとの関係を考え、日常をもって意味あるものに変換し、新しい価値として生活の一部にする「意図」を生成する思考プロセスの総体であるといえる。したがって、デザインの成果には、その思考プロセスにおいて「この世界そのものをどう理解したか」という問いが潜在的に含まれている。もちろん、世界へのフォーカス・ポイントはその都度変化するのだが、「問い」の質が重要になってくる。私はこの点で、「問い、考え、語り、聞く」という哲学の対話に類似していることに気づいた。
私は大学で「デザインとは何か」について学生と共に考えて進める授業を行っている。この授業を履修する学生はすべて社会人で、デザインの専門家ではない。それゆえ、授業の最初に、「私たちはなぜデザインを学ぶのか」ということを考える時間を持つようにしている。実は、専門家ではない人々もデザインを生活のあらゆるところで実践している。ものづくりということだけでなく、実態を持たないサービス、イベント、システム、旅行の計画、料理のレシピ、コミュニティといったコトは皆が実践しているデザインの成果なのだ。ただそれらをデザインしているという意識なく、無自覚に行っているのである。無自覚である行為の意味を考える、意識して活動することで生活はより良質に変化していくことだろう。つまり、「なぜ」「どうして」を掘り下げて考えていくことの面白さや重要性に気づいてもらいたいのである。デザインを学ぶということは、デザインの考え方、特に「問いを立てる視点」を自らの生活に取り入れ、自立した意識を持って、日常を健全な意味で「マイペースで豊かに」生きることをめざすことなのである。
デザインについて学ぶプログラムにはワークショップもあり、実践的に問いを立て、問題を解決することに取り組む時間となっている。哲学対話における「問い、考え、語り、聞く」ことと大変似ているプロセスである。ここでは、議論の最小公倍数的共通項を見出すのではなく、全てを統合する視点の獲得を最終目標としている。しかし、議論に取り組む際の参加者の思考スキルにかなり個人差があり、結果にも影響していることがわかってきた。特に社会人である彼らには、一定の経験知があり、その経験が、素直に素朴に「なぜ」を考えること、話すことを邪魔しているようなのである。そのため、ワークショップの前段で、アイスブレイクのゲームを工夫したりして実施し、恥ずかしさや照れくささからの脱却を図ったりしてきた。一定の成果を得ており、最初のハードルは低くなったものの、議論を深めていくスキルまでにはいたれない。どうしたものか。そこで、私は国際哲学研究センター(UTCP)で実践されている「哲学対話ワークショップ」のようなことをプログラムに盛り込んで実践できないだろうかと考えている。このワークショップにおける問題解決に、UTCPにおけるphilosophy for children(以下、p4c)で提示された哲学対話が有効なのではないかと考えている。
p4cは、哲学の活動に子どもたちと一緒に飛び込み、教室の学びを劇的に変える革新的なアプローチである。みんなが同じ立場で、誰も知らない答えを探って探求のコミュニティをつくりあげていくことを目指している。あたりまえだと思っていた日常への「なぜ」から始まる自分にとっての答えを探す旅だと、p4cは提示している。(http://p4c-japan.com/about_concept/より)
「あたりまえだと思っていた日常を見つめなおす」ことは、私がデザインの授業で獲得目標としていた視点であり、この共通点の発見はうれしいものだった。
実際に哲学対話ワークショップに参加すると、自分にとっての答えを探す旅の意味がよくわかる。「しあわせって思うのはどんな時?」というテーマで話し合った際、最初は、「一人でいるとき」「好きな本を読んでいる時」というような具体的な場面を語りあうのだが、「それはどうして?」と問いていくと、「他者とのつながり」といった本質的な深い話になっていく。このことで、参加者である私は、他の人のこと、自分自身のこと、世の中のことを違った角度で理解しなおすことができていくのを実感した。普段体験することのない「問いを深めていく」過程は、脳みそがチリチリする不思議な感覚で、終了時には開放感さえ味わっていた。
時に複数の問題をいっぺんに議論してしまうことがある。大抵、そこに複数の問題が含まれているという自覚もないものだ。そうなると、何が問題なのかさえわからなくなり、解決は遠のいていく。問題に向き合った時に、ただその問題を答えようとするだけでなく、問題そのものを問い直すことが重要である。問題を論理的に分析すると、いくつの課題が含まれているか、問題はどう関係しあっているか、どの順番で議論していけばいいか、などを明らかにすることができる。
この哲学対話ワークショップに近い設定をデザインワークショップに取り入れることで、「問い、考え、語り、聞く」ことを先入観なしに実践できるようになるのではないかと期待している。
世の中はボーダレスになり、様々な問題はその原因の複雑さから容易には解決し得ない。情報はいたるところにあふれ、いつでもだれでもアクセスできる技術と環境が整えられているが、真実にたどり着くことは容易ではない。人々は与えられた環境に多少の不満を抱えながらもそれなりに満足して日常を過ごしている。今こそ、日常を見つめなおす「問いを立てる力」と、それを他者と共感し共有する「対話力」が必要とされている時代だと思う。デザインも複雑な社会において、ますますその役割に意義を高める時である。デザインを考える前に、哲学を体験的に学ぶことはとても有効なアプローチではないだろうか。
「この世界そのものをどう理解したか」というデザインの潜在的な問いに向き合うために、哲学対話をデザインに取り入れていけたらと考えている。